世の中の右と左そしてうしろ 暗がりで笑う人をみたときや 銀行のATMで現金を取り忘れたときに なんとなく読むブログ
« 2005年01月 | メイン | 2005年03月 »
2005年02月のアーカイブ
シーザーの本です。これがヤバイのは付録のCDに入ってる音源が強烈だから。
それにしても「シーザーと悪魔の家」って、北欧のブラックメタルみたいな感じのステージ写真ですね。日本を代表するへヴィ・サイケとしてシーザーの名を出さないのはもったいないし、ここになんとなく入れられた楽曲は音質は悪いがサイケ具合は満点。こういうハードロック調のサイケって日本では珍しいよね。他に似た感触のバンドはマキオズくらいかな。
シーザーの曲って、演奏もうまいし大袈裟にやるもんだから一部ではかなり評判良かったと思う。ただ寺山先生の関係だから、どうしても演劇のワクを外して見ることができなかったんでしょう。当時にきちんと評価されていたら、今の日本のサイケもちょっとは変わってたかもしれませんね。
ひとひらの偽善に振り回された男が斜面を登る。
皆が下りてくる斜面を、男はいつまでも登り続ける。
空間に圧搾されるべきか、状況に窒息するべきか。
誰に問うわけでもなく、男は解決策を提案し、壁の中の議長へ爆弾を手渡す。
はじめから壊れていた家畜小屋に似たシステム。
それらがひそひそと相談し、実行する。
死んだ鳥の目がうっとりとする。
冷たいマンホールの蓋が下水で温まるまでの間、狂ったように静かなこの部屋で、選挙権を売り飛ばすことだけを考え続けた。
一日が始まる前に終わっても、そういうこととして片付けるだけの判断力が、人民には不足している。
宇宙人の春がタコのB面最後に入ってて、やたらと掻き毟るようなギターがカッコいいな、などと思っていたら、どこから見つけたのかガセネタの現存する音源を集めたアルバムが出た。
って、何年前の話だろう。いまさらな感じもあるが、ガセネタの音は古くないよ。というよりむしろ今こそ若いサイケデリック・スピード・フリークスな連中はこれを聴いて本物の凄みを味わってほしい。
あ、と思っても遅いし、浜野純のモズライトのギターは闇の中から突然切りつけてくる卑怯で怖いもの。前にだれか(連続射殺魔かな)が「シド・バレットの目をしたブースカ」と浜野を形容していたが、当時のハルミの外見もそんな感じだし、このバンドこそ「シド・バレットの目をしたブースカ」なのかもしれない。
阿部薫。こんな凄まじい音源を聴いてしまったら、もうフリージャズなんてやる気が起きない。
ランボーの詩より速く、そして早く突き刺さるアルトの音。リリシズムを感じさせる部分もあるのに、まったく緩くなどなっていない。無駄な部分は全て削ぎ落とされた完璧な脱エスタブリッシュメント音楽。
日本にはこんな素晴らしいサックス奏者がいたという事実を、これらのアルバムは確実に歴史に刻み込んだという点で、重要な音盤。フリージャズが苦手だという人はまずここから、という荒っぽい入門方法も良いかもしれない。
光り輝く忍耐。阿部薫の音は今でもその忍耐の武装を解いてはいない。アグレッシブなのは演奏者の内面であったということに気づくまでに、あと何度血を流せばよいのであろう?
本物が何か分からなくなったら、この強烈な存在に触れてみるといい。きっとすべてのイデアが喪失されることだろう。
「何気なく」というのは、その中の何パーセントかは虚偽で構成されていると疑ってかかったほうがいい。わざとらしさや「無意識に~」、というのも同様の性質を保有しているが、「何気なく」ほど無責任かつ得体の知れない感覚も他に無い。
このSLAPP HAPPYの1枚目も、そんな何気ない空気の恐怖が盛り込んである。ポップで聴きやすい感触に騙されて、ついつい深みにはまってしまうというパターンも多く、中毒者は後を絶たない。
鉄道レールは夏になると熱くて、冬場は冷たい。それは鉄道レール自体の事態ではなく、周りの気温が変化しているからであり、スラップ・ハッピーも聴き手が変化しているだけで、音楽事態は何気なくそこにあり続けるわけだ。
ともかく、厄介なレコードであることに違いはないだろう。要注意。
頭の中では困惑しているのに笑顔。
ごまかしはそこにあって、ぐるぐると回る土台の上で思考を続けながら現状を維持している。
迷惑な騒音。美しい旋律。吐き気がするような音波。懐かしいフレーズ。
それらすべてがまやかしだったんだ!
うれしくなって北東の窓を開けても、神様はやってこないのであって、徹底的に打ちのめされた夕暮れの空気がゆったりと流れていく。
キラキラと水色に光る、水に関係した映像を欠伸を堪えながら長時間見ているような気だるさ。それが正義であり、常識なのである。
サイケデリックアンダーグラウンド。ここから来て、どこへ行く?
最近甘い物がやたらと食べたくなる。何かの病気なのだろうか? 風邪も治り、順調に健康管理をしていると思ったのだが、糖分をちょっと取りすぎている気がする。
缶コーヒーを1日に5本ぐらい飲むし、チョコレートやらまんじゅうやらで糖分過多な人間になっている自分に気付き、ここのところは注意して飲食しているのだが、体重は以前と変わらず痩せ気味だ。
今年はちょっと太ってみたいのだが、いくら食べても肉が付かず、体重がついに48㎏になった。このまま体重が無くなって死ぬんじゃないかと考えると、まったく眠れず、結果的に睡眠不足で更にやせ細っていくという悪循環。太っている人が羨ましい。
そんなとき、モノクロームセットを聴くと、さらに痩せていく気がして血の気が引く。なんか痩せそうな音楽なんですよ、モノクロームセットって。
本当にモノクロームといった感じの薄暗いサウンドで、アートスクール系の人たちには大人気。だけどこの痩せそうな感覚は何なのだろう? あんまり聴かない方がいいかも。ダイエットとかしてる人には強烈にオススメしますけどね。
これぞサイケデリック! ジャパニーズ・サイケの重鎮である陽水先生が突如発表したリヴァーブかけまくりの完璧にイッちゃってるシングル。これは誰にも批評できないだろう。
こういう危なっかしい曲を普通にメジャーからシングルで出して、なおかつヒットさせるんだからやはりあのアフロは伊達や酔狂ではなかったのだろう。ピアノもストリングスも、全部リヴァーブが掛かっていて、もはや異次元の楽曲。すげぇよ、これ。
少年時代というタイトルから覗えるノスタルジーは一切無く、ただただ深く酩酊するトリップ感覚に支配されている。陽水はここへ来てまだシャーマンとしての実力を失っていなかったのである。
引きこもりのヒップホップ。というより家にあるレコードを適当にサンプリングしてるだけの怪盤。アヴァンギャルドという前に精神の蝕まれ方が現代的なので、割と若者にウケるかも。
機材も安っぽい感じで、多分ターンテーブルとミキサーとドクターサンプルだけしか使ってない。
このOdd Nosdamがすごいのは、全然狙ってなくて、素の表現としてこういうアルバムを作ってしまうところだろう。まったく作為的なものが見えないのは素晴らしい。アンチコンの中でも、最も奇怪で意図のつかめないトラックを作るこの男は、いったいヒップホップに何を見たのだろう? きっと退屈しのぎの暇つぶし程度の娯楽として音楽があるんだろうなぁ、と感心する一枚。
かいつぁーふぁん。連続する流行。拒絶するセンス。
そして少しだけ見えたモードの先に間違えられるイメージの交錯。
もっと素直になれば楽なのにね。ひとまず、部分がイメージとしての全体を思わせ、存在全てを代行しているような状態からは脱却したいですね。そのものの一部しかしらないのに、全てを理解したような顔をするのはよくないよ。ほんと。そういうのを知ったかぶりって言うんですね。
フリー・デザイン。すごくいいんじゃないかな。こういう素直にオシャレなレコードってどうなんでしょう。
もうソフト・ロックとかって流行らないから、置いてる店とかも少ないよね。渋谷系全盛の頃はどこもかしこもソフト・ロックだったのに。ただユ○オンに持っていくと結構高値で引き取ってくれるのは嬉しい。これは売りたくないけどね。
1日に一度はそれを食べないと、身体がおかしくなってしまう。自動的に爆発するならまだしも、数学的な原因を持たずに変形、拡大を続けていくのだから困ったものである。
と、複数の「ヒト・もしくは人」が囁くので、堪り兼ねて落下するというのも気がひける。だから今日のブルースは明日のブルースまで辿り着く前に昨日のブルースとして機能のブルース。有機的だなぁ。
バクーニンを非難する前にマルクスを疑えと枕元で紫の怪人に説教されたような気分になる。そんな工藤冬里の声はどこから響いているのだろう? ヴェルベッツもラリーズも、ここまで純粋にはなれなかったし、それを考えると、マヘル・シャラル・ハッシュ・バズほど呪われた音楽も珍しい。
個人的にマヘルから受けた影響は絶大である。
ファウストのセカンド。
彼らの中ではかなりポップだけど、一番って言ったらやっぱりこれ。
僕はアナログで持ってるんですが、丁寧に曲ごとのイメージ画のようなイラストが一枚ずつ入っていて、結構豪華な作り。
そういえばファウストがライヴで、空き缶か何かをステージに積み上げておいて、演奏のときに倒そうと目論むも、リハーサル中の時点ですでに我慢できずに倒してしまったというエピソードからも、彼らのユーモアが先天的に供わったものであるということが分かる。ファウストは確信犯であると同時に生まれながらのハプナーなのかもしれない。
このセカンドでの彼らは、わりとマトモな演奏も入れつつ、独自のエクスペリメンタルな部分を前作以上に研ぎ澄ましている。初めてファウストに触れるならここからがオススメだが、一枚気に入ったら全部欲しくなるということは覚悟しておいた方がいい。
何年か前にやってた、橋幸夫が「激しい渇きをレスキュ~レスキュゥゥ」と間抜けな感じに歌うCMを思い出してしまう「アクエリアス」というタイトルだが、映画のコレはもっと間抜けだ。
アルジェントの弟子、ミケーレ・ソアビが撮ったサスペンス・ホラーの本作は、確かにフクロウの面などを使用し、独特の個性は感じられた。だが、妙に淡々としていて、どこが山場なのかわからないまま物語が終了してしまうのが残念。一応それなりに盛り上がるパートはあるけれど強烈な一押しが足りず、結局パッとしないままの印象で人々の記憶の片隅にこの映画は残っている。たまには見直してみたりするのもいいが、時間の無駄という意見もちらほら聞こえてきたり。フクロウのかぶりものが好きな人は見てください。
テープ・エコーの音を忠実に再現!! しかも弾いたフレーズをその場で録音してループさせたり、ディレイ機能もとにかく多彩。そんな本機が全くと言っていいほどスルーされてしまったのは、そのルックスのダサさにあると思う。もちろん僕は新品で購入。かなり使用しました。
テープ・エコー・モードでゲルマニウムトランジスタのファズなんかをかければ、すぐにでも裸のラリーズのコピーバンドができてしまいますし、サンプリング・ループさせまくって一人多重演奏で悦に入るのもよいかと思います。ただ、現在では更にパワーアップしたモデルがあるそうなので、買うならそっちかも。
ぐずぐずしていたら脳ミソがとろけ出した。
地下鉄のホームがなぜあんなに臭いのかと考え続けていたら、いつの間にか1日が終わっていて、代わりにピンク色の三輪車が置かれている。
電光掲示板を必死に目で追いながら、隠された暗号を見つけ出そうとするも、結局はなしくずしのセリーヌ的展開。バカを見たのは俺かお前か? 政治の政治が嘘から出た真で、真実の虚像がまた真実だった場合に天皇制におけるポストモダニズムの感覚を摘出できたのは不幸中の幸いであったと思う。
いずれにせよ、プリティシングスのR&Bパンクを聴いて、素直な感動を誰しもが得られるかと言うならそれは間違っている。解体や結合など、姑息な手段を用いなくとも、彼らは最初から剛速球を投げられたのだから。
ノルマントン号事件のことを何故かふと思い出し、タバコを二箱も吸ってしまった。
日本人だけ全員死亡。
ノルマントン号だけには乗りたくないなぁ、などと小学生でも考えないような幼稚な発想しか出来ず、ダイアプレスのTさんに電話したら「その人は何年か前に退社しましたよ。でもトップビデオ誌の方には同じ名前のTという者がおりますが」なんていう意味不明の返答。「じゃ、そのTさんでよろしくどうぞ」などと伝え、保留音の後に登場したのはいつものTさん。
「トップビデオのTさん?」
「いや、どうやら受付が間違えたみたいです。僕はトップビデオなんてやってないです」
「じゃあいつものTさんですね」と、納得したようなしないような気分。
人違いってよくあるなぁ、とペイガンズを聴く度に思ったりする。
昔デパートの屋上にあったアーケードゲーム「魔界村」を思い出すジャケだが、中身はクスリ漬けのマカロニ・ウエスタンといった感じ。一応サイケの名盤ですけど、いままで出てたブートは全て音質が最悪だったり曲数が変だったりするので、サンデイズドから出てるCD以外買わない方がいいです。オリジナル盤なんて何万もの値がついてるし、サイケマニアのせいで良い音楽がどんどん手の届かない場所へ行ってしまうという現状が呪わしい。
サイケのサは差別のサ、サイケのイは異物のイ、そしてケは貶してくださいという自虐の心。みんな悩んで大きくなったと勘違いする野坂の亡霊が見える。
11セント綿、40セント肉。名曲「スローターハウス」を聴くたびに夜の街のニオイを思い出す。懐かしいゲーム喫茶のニオイ。ゼビウスでどれだけ高得点を出せるかチャレンジし、結局開始二分で100円玉を使い果たすニオイがここには充満している。
ところでゼルダをコピーしてたギャルバンてブ×とかデ×ばかりなイメージがあるよね? しかも演奏下手だからゼルダじゃなくてシャッグスになってるという、そんなこの世の終わりみたいにパッとしないコピーバンドをたくさん生み出したと思うよ、ゼルダは。別にゼルダが悪いわけじゃないんだけどさ。
僕自身、ゼルダ自体は好きなんだけど、ゼルダのイメージというか、80年代クサさがとっても嫌。だからゼルダを良く聴いてましたなんて今まで人前で言わなかったし、ゼルダの載ってる宝島も全部売り飛ばした(たしかサヨコが普通に街で買い物をするというだけの記事があって、そのいい加減な企画に爆笑した記憶あり)。
しかしながら、このアルバムだけはどうしても手放せず、いまだによく聴く。そして聴きながら「11セント綿~」などと一緒に口ずさんで過去を振り返っては、イヤな気分を味わって絶望する。そんな名盤。
気が狂うような音楽や、殺意すら感じるノイズといった類の作品なら簡単に作れる。だが、ここにあるような得体の知れない摩訶不思議な音楽に関しては正体不明と言うほかないだろう。いったい何を考えたらこんな音を詰め込められるのか? 冒頭の童謡・民謡パンクからして目の前にバラバラ死体を転がされたような心境になる奇怪なものだし、「1234」のカウントでドラムを叩きまくって「ストップ」で止めるだけとか、車を運転しながら喋ってるだけとか、さまざまな遊び心が怪異を引き起こしてしまっている問題作。
第五列の音源がアルケミーから出てたけど、このビニール解体工場もそろそろCD化されるべきだと思う。誰か出して。誰も出さないなら僕が出すぞ! 金ないけど。
このビニール解体工場をやってたDEKUさん、及びDEKUさんの知り合いだという方は連絡ほしいです。というよりただ単純にビニ解の他の音源が聴きたいだけなんだけどね。真剣にファンです。
風邪ひいたっぽく、朝から頭痛がキツイ。
午前中は久しぶりにスタジオで「ばんど練習をしているばんどの練習」をする。爆音でストゥージズのカバーとかやって頭がさらに痛い。
で、そのあとM男優の観念絵夢から「もうねぇ、春が近いよ」とか意味の分からない電話がかかってきて、脳みそがトロケはじめる。
パソコンに向かうも一向に仕事が捗らず、結局こうしてブログ遊び。どうしようもなく怠惰です。
そんなときこのジャケを観るとなぜか心が落ち着き、オリビア・ニュートン・ジョンのファンでもないのに「オリビア最高」と叫んだり泣いたり。くだらないロックのレコードとかはもう全部捨てて、オリビアとかだけ棚に飾るっていうのは、やっぱり憧れる生活ですね。
気持ちがいいか悪いかの線引きは、権利としては感覚を受ける人にあるわけで、周囲が勝手に決め付けられるものではない。アンチコンのレコードが楽しく聴けるのは、制約から抜け出しているのではなく、聴き手であるこちら側で好きなルールを決めて聴けるからである。つまり、自由な変形を聴き手で操作でき、様々なジャンルをその音に当て嵌めて納得できるのだ。
しかし、クラウドデッドのこのアルバムはそのような聴き手がイメージしうる音楽の型がいくらあっても足りないような複雑な様式を見せる。自分たちはヒップホップのつもりでやっているらしいが、ヒップホップというよりは昔のナース・ウィズ・ウーンドのような音楽に近いかも知れない。ただ、ナース・ウィズ・ウーンドがフェティッシュな音のコラージュだったのに対し、クラウドデッドはもうコンセプトすら放棄しているため、より複雑に変化する音を提供する。
このアルバムを聴くと、ノイズミュージックショップの片隅でホコリをかぶっている自主制作テープの作品を聴いているような気分になる。ちょっと懐かしい前衛というか、90年代前半のアヴァンギャルドな空気が、その音質の悪いサンプリング音とともにスピーカーからこぼれ出す。
こういう音楽を聴くと、懐かしくて泣きたくなる。
マリファナとか大好きな人達がやるラップは、やっぱりふにゃふにゃと気味の悪い声で、サイプレスヒルはこのセカンドが一番好き。ただ、一枚目の暴力的な感じもいいし、最近のランシドのギターをフィーチャーしてクラッシュの曲をネタにしたりする手口もナイス。
好き嫌いが激しく分かれるだろうけど、こういうレゲェ風味のラップって最近けっこう多いよね? 今こそサイプレスヒルを再評価する時期かもしれないけど、僕はもう二度と聴かないかもしれないのでオススメはしません。本作ではブラック・サバスのネタとか使ってるけどロックな臭いはしないので、安心してヒップ・ホップが好きな人は聴ける筈です。
あー、じゃがたらについては既に書いたつもりになってて一枚もレビューしてなかった。ま、いっか。
で、一応この南蛮渡来ですが、ボーナスで入ってる二曲がすごい好きという以外あまり語れそうもないアルバムです。だってじゃがたらなんて皆聴いてるだろうし、こんな名盤中の名盤について今更何書いていいのか皆目分からないというのが本音。
名曲「タンゴ」や「クニナマシェ」も聴ける最高の一枚で、日本のファンクならこれ以外に考えられないというぐらいのレコード。そんな紹介で皆満足できる? 僕はできません。
アケミのライヴは一度も観たこと無いんですが、「それから」とか「裸の王様」は何回も聴きました。日本人のやる黄色人種向けのファンクってやっぱりカッコイイですね。4年くらい前にばちかぶりの田口トモロヲがラママかどっかでじゃがたらのコピーバンドやったときがあって、それは偶然観てたんだけど、トモロヲさんのじゃがたら愛みたいなのがメチャクチャ感じられるステージングで満足しました。
今じゃ再発されてツタヤでレンタルもできるんだってね、これ。僕が買った頃は探しても中々見つからなかったのに、いい時代になったもんですね。
初めてこれを聴いたときは得体の知れないカッコよさに打ち震えましたが、今冷静に歌詞とか読むと結構ダサかったりする。でも後期じゃがたらの前向きな歌詞は好きだけどね。
そんな感じかな。
近年稀に見るアシッドフォーク。ホープ・サンドヴァルはマジー・スターでおなじみだとして、ワームインベンションズって何? と思った人多いと思います。これはメンバーが曲ごとにバラバラで、全曲やっているのは元(?)マイブラのドラムだけという企画モノ色の強いユニットみたいです。
まぁ、ホープ・サンドヴァルのエコー声が聴ければそれだけで満足な僕などにとっては内容なんて無くてもいいようなものなんですが、クオリティはやたら高いです。何も知らない人に「68年のアシッドフォークだ」と言っても疑わないでしょう。シンプルに美しく、そんなありがちなキャッチコピーで充分語れる普遍的名作。頭がとれたら代わりを探すという屍の気持ちと、死後の世界がありがちなミスで無くなってしまうことのどうしようもなさを的確に指摘する音楽。
世界最強のパンクス、GGアリンが死んでからもう随分経ちましたね。最近やたらと再評価され始めたけど、何かあったんでしょうか。前に買ったGGのビデオを観たら、いつもどおり極小ペニスを露出しながらクソ塗れになって歌う元気なGGがいてなんだか切ない気分。
さて、そんな彼がまだ声変わりする前のラモーンズ風ロックンロールが聴けるのがこのシングル。「デッド・オア・アライヴ」はポップで本当にカッコイイ。この純朴そうな声の持ち主が後に「キル・ザ・チルドレン・セイブ・ザ・フード」とかを地獄のような声で歌うとはまったく予想できないくらい爽やか。
で、後期GGの音源もライヴ音源もシングルコレクションも全部簡単に入手できるので、未聴の人はこの機会にぜひ聴いておくべき傑作です。I'm Gonna Rape You!!!!