世の中の右と左そしてうしろ 暗がりで笑う人をみたときや 銀行のATMで現金を取り忘れたときに なんとなく読むブログ
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2005年03月のアーカイブ
ずらっと並んだ屈強な男達が、手にした金属バットで次々と殴りかかってくる。
逃げても逃げても、やつらは追ってくる。
リップクリームの演奏は緊迫した暴力性で武装していた。日本のハードコアではもはや見本とされる彼らであるが、今ひとたびこのアルバムを聴いてほしい。
まず、曲間のコント(真剣なドラマなのかもしれないが)が異様だし、サウンドも更に磨きがかかったハードコアで、異常な緊張感を他のアルバムよりもより深く感じ取ることができるだろう。なぜ、こんなアルバムになったのか?
リップクリームには、意外と理解不能の側面があるように思う。
ナイトメア、いきなり再発ですね。びっくりした。
ナイトメアの音は思いっきりジャップなハードコアで、信じられないくらいの名作です。たしか大阪のバンドだったっけ。セルフィッシュのオリジナル盤はプレミアついてるから皆手を出さなかったと思うけど、こうしてCDでちゃんと出してくれると本当にありがたい。
いやあ、こういう再発は本当に嬉しいので、ハードコア・レーベルの人たちはどんどん名盤を発掘してCD化すべきである。でも、まさかナイトメアが二枚も出るとは思わなかったよ。快挙ですね。
これは買っても絶対に損しないので、ハードコアマニアでなくとも買うべきCDです。特に普段は青春パンクみたいなだっせぇの聴いてる小僧たちに接してもらいたい。日本のハードコアはここまでカッコイイんだという事実を、ハードコア少年たちは噛み締めて大人になってほしいです。そして、かつてハードコア少年だった我々も、こういう再発モノを聴いて感涙にむせび泣けばよいのである。
ゼロといえばこれですね。
再発・再結成(?)までしてるので、現在は接しやすい音源ですが、
一時期はやたら高くて、僕は近所の古本屋でなぜか500円で売られていたのをたまたま入手したラッキーボーイでした。おそらく持っていた人は死んだか再起不能の病に冒され、遺族に売り飛ばされたというのが真相だと思いますが。
変身キリンといえば「日本のヴェルベッツ」とまで言う人が居たくらいドリーミーな楽曲が多いわけですが、この一枚目はものすごくカッコイイポップサイケ風パンクです。
本田久作は阿木譲のロックマガジンに「宮沢賢治、稲垣足穂、ジェームス・ジョイス、世阿弥のようなRock Band」としてメンバー募集していたらしいですが、まさにそんな感じのバンドになっているので、そういう世界が好きな人はぜひ聴いてください。
工藤冬里、真剣に好きなんですよ。大ファンです。
あのよれよれした調子っ外れな歌や、楽曲の構成を無視したギターとか、やたらにキレイなピアノも全て素晴らしい。
で、これはそんな冬里氏とkinutapan、yumboといったバンドが共演する好盤。聴いてないというなら、まだ普通に売ってるので今のうちに買っておいた方がいい。
一曲目からして凄まじい異世界が口をあけているが、冬里ファンなら「その後のLuo na」で絶対泣きますね、絶対。冬里さんのうたには誰も追いつけません。
以前、友人が井の頭線内で工藤夫妻を目撃し、そのときの冬里氏のスニーカーにはマジックで「レッドクレイオラ」と書かれていたそうな。なんとも心温まるエピソードである。
工藤冬里音源はブートばっかなので、そろそろどこかのレーベルが責任持って正式にリリースした方がいい。ちなみに某氏が出したCD-Rセット「TAPES」は僕のプレイヤー、及びPCでは読み込めないというとんでもない不良品で最悪(しかもなぜかディスク3だけ聴けない)だから買わなくても平気。ブートで買うならクラゲイルのスイートインスピレーションズが一番無難です。
変な、とか、奇妙な、というだけでこのアルバムを片付けてしまうなら、音楽に未来など無い。
フリージャズであっても、ブルースであっても、ビーフハートの発する音はどこまでも純粋な発明であり、理解する為のテキストは一切必要ないのである。
あまりにも偉大過ぎるアルバムであるので、はじめてロックを聴くとか、洋楽ってどんなものなんだろう? などと疑問に思っているような初心者には危険極まりない、死に直結する盤なので不用意に手を出さない方が身の為だ。まぁ、一生聴かなくても人生は送れる。そんな覚悟があるなら、逆にたまたま買ってプレイヤーに乗せてしまっても問題はないでしょう。これはそういうアルバム。
意外と過小評価気味だけど、私はこれに随分とお世話になったので、こうして大推薦しておきます。彼らがいなかったら、今の音楽シーンなど無かったのだから。傑作です。
シェシズの一枚目。永遠の名作。
アルケミーの再発CDだとボーナスで工藤冬里の歌う「星」が収録されていてお得。
向井さんのライヴはいつ見ても無駄がなくて素敵です。シェシズや打鈍も好きだけど、胡弓一本でインプロしてる向井さんが一番鬼気迫る感じで、演奏することの本質的な心構えみたいなものをダイレクトに伝えるような音が胡弓から発せられ、意識の深層をかき乱したり押さえ込んだりするような力が作用しているように思えます。
以前ワークショップに参加したとき、向井さんは婦人用自転車に胡弓を固定してやってきて、「近所なんです」と一言。その不思議な登場からしてインパクト大でしたが、そのあとも設置されていたピアノの弦を直弾きしたり、演奏表現も研ぎ澄まされていました。
胡弓を始めたきっかけは? というだれかの問いに、小杉武久からの影響を語っていましたが、妙に納得してしまったのは僕だけではなかった筈。
筋金入りの表現者の一人として、リスペクトします。
ゲロ吐きドキュメントの音源が非常にドラマティックな初期非常階段の傑作LP。インプロの持つアナーキズムをここまで拡大できたのは、無邪気な勢いがあったからなのだろうか?
ジャケットの日野マンガもいいが、中身のパワーノイズ(まだこの時期はエレクトロニクス多用ではない)が強烈。当時のライヴ映像を収めたビデオも出てるんで、ぜひ併せてご鑑賞ください。
日本のノイズが今日のように発展したのは、この非常階段の存在があったからに他ならない。ファウストやホークウィンドやスラップハッピーや森田童子を消化してきたジョジョ広重社長の闇が表出するのはしかし、後のソロアルバムでの出来事である。
これをアンダーグラウンド扱いするなら、そんな店はさっさと潰れてしまえばいい。
限りなくポップで透明。4曲目の「マイカー炎上」というタイトルだけで気に入り、すぐに買ってしまった本作であったが、聴けば聴くほどに良くなっていき、いまではもはや去年のベストアルバムの位置にある。
マジキックって良質なもの出しますね。マヘルもそうだけど、素直なメロディというのは素直に聴けるからいいです。
忘れていた記憶や、密かに胸に秘めていた懐かしいできごとが甘く、そして切なく込み上げてくる壮絶な大名盤。一過性のポップではなく、後からじわじわ来るタイプのうたです。
最初はポップだったから軽視してたんだけど、やっぱりメロディ・メーカーとして秀逸だよね、ウィラード。90年代の歌謡ロックってここに原点があるのかもしれない。
一時期やたらプレミアがついてて、ここぞとばかりに僕は売却してしまったのであるが、今になってまた聴きたくなったりもするなつかし盤。
ウィラードはメロディがしっかりしていて、ヴォーカルも複式呼吸マスターって感じの張り上げるタイプだから、万人に受ける歌謡パンクバンドにならなかったのが不思議なくらいですね。すごくポップ。
ハードコアとか好きな人にとっては軟派かもしれないが、ウィラードの曲はパンクとしてもそれなりに破壊力のあるものだったということを本作を聴きなおして実感してみてほしい。
サイケデリックは妥協してはならない。
正しい陶酔は秩序だってはならないし、諦念を少しでも感じてしまったらもうアウト。まがい物のレッテルを貼られて無様に漂うだけである。
レッド・クレイオラのこの音楽は、サイケデリックであることを一身に背負い込んだ本物の演奏であり、わずかな隙間から見える真実さえも極彩色に歪めてしまう、マジカルな儀式だと言える。
なぜ民俗学者はこのような音を問題にしないのか?
儀式的なもの、宗教の起源として横たわっている人間の根底にある感覚を無造作につかみ、引っ張り出そうとするのがメイヨ・トンプソンの技法である。だからここにある演奏に飲み込まれてはならない。心地よい陶酔が悪夢へと一変してしまわないように、われわれは細心の注意をはらってコレに接しなければならないのである。
恐怖と驚きと、始まりを形作るための第一歩。
昨年くらいから突如再評価され始めたホリーズ。何でいまさらなのか知らないが、多分CMか何かで流れたんでしょう。
これは彼らの一番サイケな6枚目。ジャケットからしてポップサイケな香りが漂ってますね。
さて、2分30秒の中でどれだけポップでドラマティックな曲を構成できるだろう?
限られた時間軸の中で魔的なからくりを封じ込めていく手法は、このホリーズの専売特許である。限りなくポップでキャッチー。そんな2分30秒平均の曲を連発するバンドだったホリーズが、いままで全然と言っていいほど評価されていなかったのが不思議である。
紙ジャケで日本盤も出ているので、すぐ聴けるようになった感動の名盤。ただモノラルとステレオの同じ曲を一枚のCDで通して聴くのは辛いかもしれないけどね。
平沢進のセンスは素晴らしい。この1枚目はまだニューウェイヴ・テクノポップなのだが、パースペクティブやアナザーゲーム辺りのダークなポスト・ロックから次第に深化していき、「ワンパターン」ぐらいでポップ路線に戻ったと思わせつつ、デジタル機材もガンガン導入し、さらに深いサウンド構築を現在まで行っている。
一枚挙げるとしたら「パースペクティブ」だけど、この一枚目のむき出しテクノポップ感覚には相当やられたので、今回は本作の紹介で。
「美術館で会った人だろ」からいきなりピコピコピロピロ鳴ってるシンセが素晴らしいが、バンド演奏がかっちりしているところがまたたまらない。さすがマンドレイクが前身なだけあるな、と感心。
個人的に好きなのは「偉大なる頭脳」。エクスペリメンタルに行きそうになるのを必死で押さえているメンバーの理性が見え隠れする初期の大名曲である。まぁ、人気は低いけど。
セカンドの「ランドセル」とはまたちょっと違った感覚があって、p-model入門にはうってつけの一枚。これで興味を持ったら「ポプリ」「パースペクティブ」「アナザー・ゲーム」の三枚を買ってヘッドフォンで聴くことをオススメする。特に「パースペクティブ」は一家に一枚の大傑作なので、死ぬまでにぜひ聞くべきニューウェーブの名盤である。
平沢ソロについてはまた別のところで書きたいと思うので、今日はここまで。
ドルフィはソロでも素晴らしいのですが、集団演奏となるとこのレコードが一番好きです。しかもこの二集目のテンションが尋常じゃないので、ドルフィの音源に触れたことの無い人にもオススメです。
60年代のサックス奏者の中で、ドルフィほど評価されていないアーティストもいないだろう。ここまで純粋に、神々しいまでの演奏に対する姿勢は誰にも否定できない。
立ち上がりの、摩擦音のような一撃から、ドルフィの幻想は蔓延し、墓石の眩しさに思わず顔を背けてしまう。ドルフィは全作、全曲いい。だからとにかく聴き、体験することが重要になってくると思う。