世の中の右と左そしてうしろ 暗がりで笑う人をみたときや 銀行のATMで現金を取り忘れたときに なんとなく読むブログ
カテゴリー:ネオアコ・ギターポップ
ロイド・コールのポジションについては、このデビュー作を聴くとよくわかる。
ギターポップの重要作の一枚でありながら、あまり語られることの無いこの「Rattlesnakes」であるが、ロイド・コールという一人のミュージシャンを肯定するには充分な内容になっている。
美しさや演奏の強度ではなく、存在感としてのロイド・コールこそが最も語られるべき事柄のような気がするのは私だけだろうか?
このデビュー作は最近デラックス・エディションの2枚組でも発売され、DISC2には貴重な音源も収録されており、かなりの好内容。ソロになってからの彼もいいが、一枚選ぶとしたらやはりこの「Rattlesnakes」ということになるだろう。
80年代のギターポップ、という一言で終わらせてしまうにはもったいない一枚だと思うのだが、かといって最高なアルバムだ!! と言うのもなんだか憚られる。
ロイド・コールに触れたことが無ければ、まずはここからだが、これだけがロイド・コールでは無いので、後のソロ作品もぜひ聴いて判断するのがベストだと思う。
ルイ・フィリップの一枚目は、あまりにも美しいアコースティックな直感で紡がれている。
後の鋭くなっていくポップセンスもいいが、この時点での限りなく静かで、色彩を封じ込めるような音の発せられ方にやはり惹かれてしまう。
とびきり優雅でありながらも、かつての60年代のポップミュージックから得られたエッセンスはきちんと消化していることがよくわかるこのアルバムは、革命的な衝撃というよりは、アイディアの素晴らしさを感じられる好盤といった趣である。
今の季節、部屋でゆっくり紅茶でも飲みながら聴くには、これほど最適なアルバムもない。
最近になって紙ジャケ再発されたCDには、ボーナスで大人気曲「YOU MARY YOU」が入っているが、個人的にはボーナスは無くても好きな一枚である。
YOU MARY YOUは名曲だけど、あれだけがルイ・フィリップというわけではないので、できればフルで聴いてほしいミュージシャンである。
King of Luxembourgことサイモン・フイッシャー・ターナーの持ち味としては、自分の趣味を全開にして一つの世界観を構築するところがずば抜けて優れている点が挙げられる。
趣味の良い60年代ポップスの再構築。
ただそれだけのことなのかもしれないが、彼の技術とセンスはとてつもなく研ぎ澄まされていた。
このアルバムをはじめて聴いたとき、あまりの密度の濃さと、その恐るべき統一感に感服した。まるで何かのボックスセットでも聴いたような、濃厚で大量の情報がぎっしり詰まった音楽。
彼の才能はしかし、ほとんど日本でのみの評価らしく、海外ではかなりマイナーな扱いになっているというのが信じられない。これほどまでに完成度の高いポップスが一過性のブームとして片付けられてしまうことが最も切なく、悲しいことだ。
と、思っていたら昨年本タイトルを含むelレーベルの作品群が紙ジャケ再発され、値段は高いものの、誰でもすぐに買えるような流通になったことが素晴らしい。
まだ未聴で、こういった音楽をこれから聴いてみようと思っている方には絶好のチャンスであると思う。
また、探せばアナログ盤も安い値段で売られているので、私のように金銭的にキツイという方には根気良く中古盤の棚を漁ることをオススメする。
ヴェルヴェット・クラッシュの前身ということで有名な一枚だが、ヴェルクラよりもいい意味で軽くポップな感触が爽快な編集盤。
これは好きで、なぜか再発盤LP(ジャケ違い)とCDと両方持っているくらい個人的にハマッた一枚だったりする。
サブウェイというレーベルにおいて、まずこのアルバムを思い出すという人も多い筈だ。
キラキラしたポップな音楽。ギターポップの理想型の一つだと思う。
こういったどこか壊れそうな繊細さと、それをおかまいなしに突っ走る無茶さが同居した音楽はとても清々しい。
こういうのを青臭いとか子どもっぽいと思うなら聴かなくたっていい。ただ、こういった音楽を今聴くということで、それがなんらかの前進となるならば、ずっと聴いていたっていいと思う。
廃盤だが掛け値なしの、最高のポップミュージック。
East Village、この前突如再発されました。
もちろん買ったわけですが、オリジナルで聴いたことがなかったのでかなり新鮮に楽しむことができ、そのクオリティの高さにびっくりしました。ただ、ちょっと値段は高かったですが…。
内容について言うと、完璧なセンスなのに、わざと地味な方へ突き進んでいくような、変なおもしろさがあるギターポップです。
ジャケから連想するようなストレートにポップな感覚は求めない方がいいでしょう。ちょっと上級者向けですので、試聴してからご購入をオススメします。
音自体はかなり良いですし、アイディアも豊富でゆったりしたサウンドなのですが、一人でゆっくり聴くのがベストです。あまり批評できそうな内容でもないので、ひとまず聴いてみて欲しい一枚です。
こういう地味路線狙いみたいな音楽は大好きなんですが、なかなか共感してもらえないもので、こういう場でないと好きだということを表明できずに困ってしまいます。
まぁ、一人でこそこそ楽しめば良いんですけどね…。
どこにカテゴライズしていいのか分からないのは、このアルバムでのコウジロウ氏のギターがハードロックテイストだったりするからで、エレキブランというバンドの幅広さを思う存分体験できる大傑作。
前作のトマトのやつもいいんだけど、やっぱり一枚選ぶとしたら本作だろう。
やたらと上手いギター、ポップな感触、少しねじまがった歌詞。
エレキブランは特殊でセンスのいいバンドだったと思う。
Lovely morning and I love youのような、テープにしか入っていない曲もCD化してほしかったものだが、あまりにも突然の解散でびっくりした記憶がある。特に、メジャーの最後の方は方向性も変わってきて、次にどんなアルバムが来るのか気になっていた時期でもあった。あと一枚、アルバムを出して欲しかったというのが正直な気持ちである。
末永く続けていて欲しいバンドというのはすぐになくなってしまう。エレキブランもそんなバンドの一つだった。
ビクターからデビューせずに、ずっと自主でつづけていたら。。
そんなことを考えたファンもたくさんいることだろう。エレキブランの曲を聴くと、やっぱり切なさを感じてしまうし、ギターが弾きたい気分になる。
たまに、中古で安くエレキブランのCDが売られているのを見かけると、持っているのに手にとって眺めてしまったりする。
それは一体何の未練だと言うのだろうか?
シューゲイザー大名盤。にもかかわらずずっと廃盤だった本作が、最近いきなり再発されていてついつい買ってしまった。
内容はいいですし、ボーナストラックまで入っているので、当時シューゲに夢中だった皆には聴いてほしい再発アルバム。
マイブラ(初期)がノイジーなアノラックサウンド、ライドがソリッドな発展系ニューウェイヴ、スロウダイヴがドリーミーサイケの拡大であったのに対し、このチャプターハウスはマンチェサウンドのシューゲイザー化であったような印象が深い。
ただ、改めて聴いてみると、むしろシューゲイザー的な展開が根本にあったところへ、マンチェの風を送り込んだような仕上がりになっている。
時代を代表する名盤や奇抜な作品ではないけれど、良質な音楽が聴ける一枚として推薦したくなるアルバムだ。
懐かしい。というかもう誰も覚えてないんじゃないかと思われるスパイリアXのデビュー盤。
プライマルのジムが好きだった人以外にとって、このアルバムを今さら聴くというのはちょっと辛いかもしれない。が、極上のギターポップ(あの時代の)であることだけは確かなので、気になる方は探してみてほしい。
ジムのプライマル時代の美しい12弦ギターの音が忘れられず、セカンド以降のプライマルは聴いてないなんていう頑固なファンにとって、これほどまでにすばらしいアルバムもないだろう。
いまさらだが、プライマル・スクリームの一枚目は最高だった。
なぜならジムがいたからである。
初期プライマルのあの煌びやかなサウンドは、ジムなくしては作れなかったと私はいまだに思っている。12インチの「クリスタルクレセント」が好きで好きでたまらなかった我々にとって、ジムがスパイリアXで復活したことは嬉しいことだったが、やはり初期プライマルでのジムが忘れられない。
現在のプライマルにジムが参加したら、とんでもないものが出来そうな気もするが、それはおそらく私のただの妄想だろう…。
2000年以降の音楽に極端に弱い私も、たまには新譜を購入するわけです。
で、久し振りに買ったのがこのベルセバ。今年で10周年とのことで、ただならぬ気合いを感じてついつい購入してしまいました。
中の音はもうグラスゴー特有のネオアコ・ギターポップですね。先日ユージニアスを紹介しましたが、グラスゴーというのは本当に独特のバンドが多い地域です。
ひたすらポップにまとめられたベルセバの新作ですが、肩の力を抜いてわりとリラックスして作られているような感触がすでに大物の貫禄を感じさせます。
輸入盤にはボーナスでDVDもついているそうですが、私は間違えて国内盤を購入してしまったが故に映像は拝めませんでした…。
今日はベルセバの内容があまりに誠実な感じがしたので、レビューもマジメに書きます。
斬新なアイディアも今回は盛り込まれているのですが、それを意識させないストレートなポップ・ミュージックとしての良さが素晴らしく、彼らのアルバムの中でもかなりの傑作なのではないかと思います。
全曲しっかりしたポップミュージックなので、なるべくならアルバム一枚通しで聴いてほしい作品です。グラスゴーのシーンは今後も注目していきたいと思います。
私が愛してやまない一枚。
あれだけ騒がれたネオアコも、もはや過去のムーブメントのような扱いをされてしまっている感じを受ける。いま再びこういった盤を聴きなおしてみて分かるのは、ひたすらポップで聴きやすい音楽であるということ以外には何も無いのだが、その究極的にポップであり続けるということはなかなか難しいことなのであり、このブリリアントコーナーズは当時のネオアコ勢の中でも、かなり良質なクオリティの高い楽曲で話題になったバンドである。
現在、こういったバンドが、例えば米国のニルヴァーナのように間違った伝説化(商品としての曲解されたイメージ)をされていないことは救いであるが、逆に知名度が低くなりつつあるのはもったいない。
こんなに良いものなんだから、後世に語り継いでいってもいいのではないか? と思うのだが、すでにこの名作アルバムにもプレミアがつき、CD再発も行われている様子はない(カナダかどこかだけでは売ってるらしい)。
良いレコードを忘れてしまうというのは本当にもったいないことであるし、それは過去に固執することとはまったく別のことだと思う。良いものはいつまでも良いものとして受け継がれていくべきだと、こういったレコードを聴く度に主張してしまいたくなるのは、やはり音楽の魔力なんだろうか?
出た!!
何がってこの二枚組みです。June Bridesの決定的なアルバムですね。
これまでギターポップ好きの間で幻のグループとまで言われていたあのJune Bridesの音源がついに再発。しかも二枚組みで値段もリーズナブル。これを出したチェリーレッドは本当にえらい。
音はやはりあの時代の音で、ギターポップ好きにとってはたまらない作品となっています。
個人的には二枚目のラストに収録されているベルベッツのカバーでとどめを刺されましたが、トータルでクオリティの高い作品だと思います。
ちゃんと音源を聴いたのは初めてでしたが、かなり重要なグループだということは確実です。
タワレコあたりで入手できますが、枚数が少なそうなので欲しい場合はお早めにお求めください。
久し振りにヒットしました。
ファンキーなうねりを出来るだけスタイリッシュに。
スタイル・カウンシルは呪術から始まる最新機械の取り扱い説明書だ。
つまり土着的科学。宇宙の塵からはじまるエトセトラである。
だから都市部で人気。若い子から音楽オタクまで、皆スタカンのトリコ。
というわけでいまさらこのアルバムについて何か書くこと自体抵抗あります。素晴らしいし大好きなアルバムなので、今日は控えめのエントリーで。
それにしても忙しい最近、空腹と眠気で発狂まであとわずかです。
毎年寒くなってくると腰痛になるのですが、今年もまたあの苦しみを味わうと思うと…。
…ちなみにカフェ・ブリュも最高です。
ストーン・ローゼスがあの時代のアイコンだったなどと誤認してしまうと、大切なサウンドを下水に流し込むのと同様の喪失に襲われる。
実存が悲劇的性質を孕んでいるならば、位置を曖昧なままに本質部分だけを摘出してみればよいのである。ただ、イメージとしてのストーン・ローゼスが必ずしも本質的な部分と相似しているとは限らず、そこの行き違いがまた新たにストーン・ローゼスという伝説めいた空想を生み出してしまうならば、それほど皮肉なものはないだろう。
表向きの「ストーン・ローゼスという情報」が広く伝播されるにつれ、そこに付随する形で生成されたイメージが含む意味は初めから隠蔽されたまま表出してきてしまう。覆面をつけたストーン・ローゼスのイメージは、正体不明のまま文化的な記号として定着してしまったのである。
だから、ストーン・ローゼスについて語ることは困難なのである。根拠の無い説明を延々と繰り返すほか、彼らを歴史的背景で語る術は残されていない。
しかし、今年のサマー・ソニックでのイアン・ブラウンを見た人達に聞くと、刹那的に捉えうる性質の音楽には成りえないという宿命がなんとなく理解できたように思える。
ストーン・ローゼスは言わばダイアルアップ回線でインターネットをしている状況のまま、突然の停電で接続が切断されてしまったバンドである。可能性が顔を出す前に、全てが隠されてしまったのだから仕方が無い。
今後、このバンドについての憶測はさらに溢れていくと思うが、そのどれをとっても、まったく輝いていないというのは、イメージが拘束されてしまった故の結果であり、ローゼス側にも我々の側にも責任は無いのである。
だからこそ、もう一度あの音を聴いて、伝達されたイメージを改めて構築してみることをおすすめしたい。ストーン・ローゼスの良さがこれ以上曇ってしまわぬように。
投影された甘い音楽は、限りなく立体的になって目の前まで迫ってくるが、色彩は淡く半透明に近い。もしも、極彩色のサイケデリックをあなたが求めているのならば、本作はオススメできない。しかし、モノクロームの甘い世界に浸りたいならば、彼らのポップ・ソングが最適だろう。
ほぼフリッパーズ・ギターで再録されているが、ロリポップ・ソニック時代の方がよりダイレクトにポップミュージックを構築している。
個人的には再録はおろか公式なリリースもされていない「GO!」や「自転車疾走シーン」といった楽曲にこそ彼らの真価があると思う。「GO!」は思いっきりアノラックサウンドで、リズムボックスのバージョンはグルービー・リトル・ナンバーズを彷彿とさせる。「自転車疾走シーン」は小沢君のボーカルがもっとも生かされている楽曲である。
ロリポップソニックの音源はとにかく音質が最悪だが、楽曲そのものは良質なのであまり苦にはならない。ただ、もうちょっと良い音質で残っていたらなぁ、と思うと残念でならない。
天国が間近にあった場合、幻想がそこに付随することはないだろう。へヴンリーの天国は距離感がどうのという前に、現実そのものを至福に導く。そのため、リアル~ファンタジー間の垣根は崩壊し、発生するのはオシャレでポップな音というわけだ。
今でもここにあるメロディは夢を生成している。聴き手が絶えない限り、へヴンリーの位置というものは不動であるし、その効力も変質、失効などはしない。時間の経過によって損なわれるような紛い物のポップミュージックなど、へヴンリーと同じ土俵に上がれないのである。
メンバーが自殺してしまったが、それによってへヴンリーの持っている魅力が殺がれたというようなことは決してない。永遠の青春がここに封じ込められているし、この宝石箱はいつだって開けることができるのだから、僕らは思う存分楽しめば良いのである。
スティーヴンのよれよれした「うた」が好きだ。本人は真剣なのに、どこか情けなく響いてしまう彼のうたはとても素晴らしい。最近、彼はあまり歌わなくなってしまったのだが、パステルズの空気はいつも新鮮である。
私はパステルズのよれ具合は、我らが工藤冬里の楽曲と似通った部分があると考えていたので、ジオグラフィックがマヘルのアルバムを出すと聞いたとき、妙に納得してしまったものだ。スティーブンと工藤氏の交流も、パステルズの新作のライナーで工藤氏自身が少し書いていたので、気になるという方はそちらをご覧ください。
で、これはそんなパステルズのもっとも聴きやすいアルバム。ギター音も以前と比べるとやや轟音気味に鳴り響いているし、全体的にもポップにまとまっている。まさに黄金のギターポップ。きらびやかで美しく、そして下手なのにドラマチック。まさに理想の一枚である。
もう一度、この時代のパステルズを聴いてみたいのだが、彼らはもうそんな場所にはいないんだろうなぁ、と思うと少し切ない。やはり感傷的になってしまうのは、これからもパステルズを聴く度に続くのだろう。失敗という概念がないのだから、彼らは常に成功者なのである。
最近甘い物がやたらと食べたくなる。何かの病気なのだろうか? 風邪も治り、順調に健康管理をしていると思ったのだが、糖分をちょっと取りすぎている気がする。
缶コーヒーを1日に5本ぐらい飲むし、チョコレートやらまんじゅうやらで糖分過多な人間になっている自分に気付き、ここのところは注意して飲食しているのだが、体重は以前と変わらず痩せ気味だ。
今年はちょっと太ってみたいのだが、いくら食べても肉が付かず、体重がついに48㎏になった。このまま体重が無くなって死ぬんじゃないかと考えると、まったく眠れず、結果的に睡眠不足で更にやせ細っていくという悪循環。太っている人が羨ましい。
そんなとき、モノクロームセットを聴くと、さらに痩せていく気がして血の気が引く。なんか痩せそうな音楽なんですよ、モノクロームセットって。
本当にモノクロームといった感じの薄暗いサウンドで、アートスクール系の人たちには大人気。だけどこの痩せそうな感覚は何なのだろう? あんまり聴かない方がいいかも。ダイエットとかしてる人には強烈にオススメしますけどね。