世の中の右と左そしてうしろ 暗がりで笑う人をみたときや 銀行のATMで現金を取り忘れたときに なんとなく読むブログ
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ファンキーなうねりを出来るだけスタイリッシュに。
スタイル・カウンシルは呪術から始まる最新機械の取り扱い説明書だ。
つまり土着的科学。宇宙の塵からはじまるエトセトラである。
だから都市部で人気。若い子から音楽オタクまで、皆スタカンのトリコ。
というわけでいまさらこのアルバムについて何か書くこと自体抵抗あります。素晴らしいし大好きなアルバムなので、今日は控えめのエントリーで。
それにしても忙しい最近、空腹と眠気で発狂まであとわずかです。
毎年寒くなってくると腰痛になるのですが、今年もまたあの苦しみを味わうと思うと…。
…ちなみにカフェ・ブリュも最高です。
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スタカンは好きですけど、森本さん大丈夫でしょうか?
発狂しないように、体休めてくださいね。
投稿者 zuma : 2005年10月22日 20:53
ありがとうございます。
休むようにしますが、最近ブログの更新も遅くなってしまったし…。逆に張り切る場面なのかもしれません。
何とか発狂しないように暮らします!
投稿者 森本 : 2005年10月22日 21:14
僕がハードコアにトチ狂っていた16歳の頃、夜のヒットスタジオに出演して「タンブリング・ダウン」を演奏していたと記憶しています。
5年後に、その2人の信者になる事も知らずに「かっこいい曲だな~」と見ていました。「タンブリング・ダウン」じゃなかったかもしれません・・・
投稿者 tommy-T : 2005年11月09日 21:01
このバンドは本当に好きだったです。
私もハードコアばかり聴いていましたが、このバンドはなんの抵抗も無く受け入れられました。
夜ヒットに出てたんですか!! 全然知らなかった~。
ちょっと見てみたい映像ですね。
スタカンは私も影響受けまくったバンドです。
投稿者 森本 : 2005年11月09日 21:18
仕事中の昼休みに拝見してます。
記憶の糸を辿ってみました。日本のスタジオではなくロンドンからの中継でした。
ポール・ウェラーは髪が真っ赤でいつも通りのタイトないでたちでした。
翌日、ウェラー氏だけで繋がっていた洋楽好きのクラスメートと熱く語り合いました。
青春の1ページです(笑)更にその翌日にカセット(死語)を交換しました。
彼がスタカン、私がトイドールズでした。当時、トイドールズをJAMっぽいバンドとして認識してました・・・
このアルバムの裏ジャケにあるリッケンバッカーが欲しくて現行モデルで一番近いものを買いました。
購入後、15年近く経ちますがアワ・フェイバリット・ルームとしていまだに部屋のオブジェとして飾られています。
投稿者 tommy-T : 2005年11月11日 13:13
いい話ですね!
リッケンバッカー、高くて買えなかったです。
似たようなモデルのものにしようと思ったのですが、
「大人になったら買ってやる」
と思いつつ、大人になった今も買えてません(泣)。
ポール・ウェラーはいまだに私のアイドルです。
投稿者 森本 : 2005年11月11日 14:22
マイ・スタカン・ブームが去った後、小山田圭吾という人物が目に留りました。
コーネリアス結成直後でしたが、何となく日本のポール・ウェラーかな・・・と感じ彼を追いかけてフリッパーズからロリポップへと逆流し、最後はその仲間内のカジヒデキというアーティストにシンパシーを感じファンとなりました。
後で分かった事ですが、カジ氏が同郷出身で昔ポジティブパンク(死語)のバンドをやっていたそうで
その事実が私自身の30歳を過ぎて、またパンク~ハードコアの道を進むことに一役買うことになりました。
お後がよろしいようで・・・
投稿者 tommy-T : 2005年11月11日 15:29
カジ氏ってポジパンやってたんですか!?
初めて知りました。
フリッパーズはスタカンの影響強いですよね。小山田氏は以前下北沢などで見かけていましたが、普通の青年という感じでよかったです。
ロリポップ・ソニックはもっと音質のいい音源があればいいんですが…。
投稿者 森本 : 2005年11月11日 17:13