世の中の右と左そしてうしろ 暗がりで笑う人をみたときや 銀行のATMで現金を取り忘れたときに なんとなく読むブログ
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2005年12月のアーカイブ
子供の頃の友人が下北沢の街を守ろうという署名運動をやっている、と伝え聞いた。いわゆる下北の街をぶっ潰して道路を作ろうという計画への反対運動らしい。
そういったデモをする姿勢というのはとても潔く、好感の持てる態度であるが、私はいくら彼に署名を求められたとしてもそれに応ずることはできないだろう。
私はずっと下北沢で暮らしてきた。いまも下北沢に住んでいるし、毎日小田急線で出社している。
でも、それは道路建設計画への反対意志を表明する理由としては余りにも弱すぎるし、私個人には反対する理由は一つも無い。
「いままでの下北の街が無くなるからそれを防ぎたい」という意見は、一見文化を守る正しい姿勢に見えなくもないが、「そろそろ60年前にあった道路建設計画を実行したい」という行政側の意見と並べると、どちらも大して強い理由からの問題提起ではないように思えてならない。
別に私は道路を作るなとも、デモをするなとも言わない。ただ、もう少しよく考えて行動した方がいいんじゃないかと思う。
いままでの下北沢が本当に重要なのか? そんなにいい街なのか? 道路は必要なのか? 誰が得をするのか?
そういった疑問に対する解答が用意されていないまま、下手な運動を私はすることもないし、参加もしたくない。
そして、私にとって下北沢はそんなに良い街にも見えない。昼間っから若者がカツアゲしたりされたり、中高生がホテルで援交していたり、夜は酔っ払いの会社員やバンドマンが殴りあうような、そんな街の何を守ろうと言うのだろうか?
いい街だったら、それは思い出の中だけで充分だ。万人にとってのいい街など存在しないし、外観の保存が文化の保存に繋がるという短絡的な考え方もまた同意しにくい性質である。
いろいろ考えた結果から言えば、道路は通してもいいんじゃないかと思う。今更60年前の案を持ってきたということは行政にものっぴきならぬこと(金の話)があったのだろうし、今の下北の街が無くなって同時に滅ぶような希薄な文化なら、もともと守る必要のないものなのではないだろうか。
ちょっと前にECDが雑誌で「道路を通した上で新しい文化を作ればいい」というようなもっともな意見を言っていたが、デモに関係している人達にはそういう建設的な思考は無いのだろうか?
きっと、反対運動をする人の中にある「下北沢」の幻影はいつまでも美しく、理想的なものなのであろう。ただ、それに気をとられていると、まわりの物事が見えなくなってしまうという事にも気づいてほしい。
これから署名しようと考えている方は、物理的な街の死が、文化的、存在的な死ではないということをもう一度よく考えて署名した方が良い。安易な気持ちでの運動への参加は、危険な事態を招くことになるだろうから。
久し振りに新譜でも。駅前旅館のセカンド、ついに発売です。
前作のカオスが更に深まって、もはやあれこれ批評できるレベルではありません。歌詞カード見ながら聴いていても突然不意打ちのように面白い日本語がばっと切り込んでくるので、電車の中で聴いていたらふと吹き出してしまいそうになる危険性に満ち溢れています。
肉弾時代よりも文谷氏の狂気が固まっているような気がするのは、やはりその歌詞の優れた点からでしょう。こんな変態的な歌と演奏、まず他に出来る人はいません。
肉弾が大好きだった、という人でもしこれを未聴ならばすぐにでも聴いてみてください。今年最後に買ったアルバムですが、今年の新譜部門のベストだと思います。
工藤さんの三日間連続講演が昨日、今日、明日とあるそうですが、仕事で一日も行けず…。
ひとまず、最近になって突如再発されたこの「アトランティックシティ」を聴いて我慢するしかないだろう。
工藤さんの絶妙なうたと、瞬間瞬間を生きる演奏がとても気持ちいい。
ここでは後のマヘルでの開放感とは違ったオープンな印象があり、それはもしかしたら窒息するような苦しみなのかもしれないけれど、工藤さんは閉塞感を一切感じさせない。
自由な表現、という言葉を耳、もしくは眼にすると、工藤さんの曲をいつも思い出す。
マヘルの曲「エヴァとマリアとジュリエット」が印象的なので引用してみたい。
とあるモーテルのさみしい家具の中に デスバレーの思い出を捨ててきたのだ
命の道か死の道か
エヴァかマリアかジュリエット 誰のために
一度外した足枷をまた着けるのか
今も同じ竜と闘って…
この「とあるモーテルのさみしい家具の中に」というフレーズがどういうわけか忘れられない。ことあるごとに頭の中にこの曲と工藤さんの声が響き渡る。なんという中毒性であろうか。
工藤冬里という巨大な才能が三日間連続で目の前で見れるというのに、私はチャンスを逃してしまった…。まだ、今夜と明日の公演は間に合う、誰か私の代わりにあの素晴らしいうたを聴いてきてほしい。今夜はクリスマス・イヴだ。こんなにぴったりのシチュエーションは、もうないかもしれない。
再発についていろいろ考えていて、僕が個人的に最も再発して欲しいのは何かを考えたときに一番最初に浮かんだのがこのジャンキー。
正統派な音ですね。めちゃくちゃカッコイイハードコア。
たしか横浜のバンドで、ホールドアップからのリリースです。
こういった優れたバンドの音源が再発されずに、腐るほど在庫の余っている商業音楽が再発されるような現状には異を唱えます。再発そのものの活性化は嬉しいけど、大ヒットして中古盤が安価でごろごろしているようなものを金目的でなんとなく再発するメジャーレーベルは、一つこのジャンキーでもリリースして汚名返上してみては? と思う。
それと、こういったレア盤に偏った神格化、伝説化を行うことも危険ですね。そんなにいいものなら何故再発されない? という疑問から、音楽業界が大して聴き手の意見を汲んでいないことが浮き彫りになってしまいますから。
つまり、金と力のあるレーベルは一刻も早く再発を活性化させていくべきです。超メジャーな歌謡曲レーベルからジャンキーが出たって、喜ぶ人はいても失望する人間はいないでしょう。だからこそ、やってみるべきだと思います。
何万枚も毒にも薬にもならないCDを製作して、音楽を知らない子供たちを騙して売りつけるようなマネをするなら、100枚でも200枚でもいいから価値あるリリースをしてほしい。本当に消費されるべき音楽っていうのはそういうことなんじゃないかな?
こんなのまで再発される良い世の中です(笑)。
聴き所としてはNO-CUTですね。メロディもしっかりしててカッコイイ演奏です。
白(kuro)、アグレッシブドッグス、GAI、GESS、GEDONと、面子も素晴らしく聴きやすい一枚。
NO-CUTはノイズコア中心だと思われていた当時のあのシーンの中で最も聴きやすくカッチリした演奏をかましてくれたバンドですが、後半はポップ過ぎてちょっと苦手だったりします。
ここでのアグレッシブドッグスは初期ですね。
ゲスはリディア・キャッツの前身バンドで、まだパンクロック全開な感じ。
白に関してはアルバムが再発されたばかりなので近いうちにそちらで紹介します。
GEDONもよく愚鈍と間違われていますが、違う人達です。パンク精神に満ち溢れた演奏ですね。
そしてGAIもスワンキーズへの流れを感じさせる直球な感じで、とてもカッコイイのです。
この前のスワンキーズライヴを見逃して後悔しまくっている私のような人間はぜひともこれを聴いて自室で盛り上がってください。
もうここ最近の再発ラッシュで久し振りに新譜を買いまくってます。財布が…。
このスターリンも、ブートで出回ってたモノよりも全然音質がイイ!! 内容は大体知ってたけど、あらためてCDで聴くとカッコイイですね。特に達也のドラムが気持ちいいぐらい暴れてます。良次雄のギターはちょっといつものパワーがないかな? と思ったんですが、聴き込んで行くと「ああ、なるほど」というような感想も持てるようになり、もうOKです。
スターリンの歴代ギタリストの中では個人的には金子あつしが一番好きなんですが、タムにしても良次雄にしても、独特の「音」を持っているというのが素晴らしいと思いました。
ところで、何でこれを買ったかというと、ユニオンで買うと特製のスターリンマグカップなるものが貰えたからで、これは今毎日職場で愛用しています。真っ黒なボディにスターリンのロゴが入った実用的な一品です。マグカップだけでもう満足。
そんなわけで、年末の日本80sパンク・ハードコア祭り&再発祈願特集がこのブログでも始まりましたが、そろそろ再発してほしいものを書くコーナーなども設けていこうと思うので、末永くおつきあいください。欲しかったものが手に入ったときの喜びは、やはり皆で分かち合いたいものですからね!
カセット「ちょっと、たりないチンピラ」に「GET DOWN VALIS」を合わせてさらにライヴDVDまでついた完璧な再発!! 待ってました。
もちろん早速買ったわけですが、聴いてみて驚いたのはカセットのときとは音質がまるで違うということ。あのもこもこした感じが無くなって、実に迫力あるものになっています。
これはどうやら中村達也の家にあったオリジナルマスターから起こしたものらしく、ある意味リミックスまで行っている素晴らしい逸品です。そのため、良次雄のあのカッコイイギター(UKロックっぽいこともあればハードなブルース調であったりもする天才的な職人芸)がバッチリ鼓膜を直撃します。
DVDも実に興味深い映像ですので、GOD(原爆オキシドールの意味でしたっけ?)ファンは絶対に買ってみてください。オリジナルを持っている人も、これは別物として優れているのでオススメです!!
再発されて本当に良かったと思います。
ADKから出た看護婦モノ(こう書くといやらしいですね)。ギターはガスタンクのタツ氏で、ドラムがエクスキュートのユーロさんといういかした面子になったセカンド。
ヴォーカルの声質が苦手な人も多いと思うけど、私は大好きなんでこうして紹介してみました。
一時期ギターがタム氏、ドラムがピルさんという強烈なヘルプが入ったときがありましたが、音源は…あるのかな? まぁ、そういった謎の音源を発掘して再発してもらおう、というのがこのブログのテーマになったので、ナースもぜひリマスターして再発希望です!!
いつでもっ、どこでもっ、あなたのっ、ナーーース!!
もう立ち直れません…。
ハードコア史上究極のアンサー。入手困難な初期音源をまとめた最強の一枚である。
この奇怪なドラム(もたついているのかわざとなのか不明)や、突っ走るヤケクソな勢いには今聴いても頭が下がる。
本気でカッコイイ演奏。文句なしに盛り上がれる熱狂的な空気が気持ちいい。
エクスキュートはやはり初期の直球ハードコアが一番なのですが、このリーズナブルだったアルバムにもプレミアがつき、オリジナルのソノシートなんてオークションで5万ぐらいするという異常なものなので、どんどん伝説として語り継がれるだけの存在になってしまいまったが、そろそろ正式に再発してもいい頃じゃないかと思う。
クリミナルフラワー以降の独特なポジパン風の曲も嫌いじゃない。が、やはりエクスキュートといえば初期のあのイメージが強烈なので、未聴の方にはできれば最初に初期音源を聴いてほしい。
このレコードが入門編としては最適だったのであるが、残念なことに入手困難であるという現状から、当分エクスキュートが再び解放される日は訪れないだろう。
なんとももったいない話である。
こりゃマズイでしょ、人権擁護法案。
明らかに国民の意見がまるで反映されていない法案だし、こんなもんが可決されたら僕のような人間はあちこちから攻撃されて獄中で孤独な死を遂げるということになりかねないでしょうね。
この法案の内容は、ちょっとした差別的な言葉や表現を徹底的に吊るし上げてやろうっていう『表現の自由の殺害』そのものとしか言えないものです。
というか何を考えたらこんな危険思想が育まれるんでしょうね。
公○党によるファシズムの布石にしか見えないんですけど、あいつらが守ろうとしているものが本当に人権なのか? アンケートをとったら全員がNOと答えるでしょうね。
しかし、もっとマスコミで騒がないとこの法案可決されちゃうよ。ホントに。
いまこそデモを起こすべきだと思うんだけど、世間の若者たちはまだホワイトバンドとか着けてるし、ダメそうな感じだよね。あー、ムカつく。
だいたい党員の意見しか尊重されないっていう体制が嫌だ。虫唾が走る。
あいつらは僕らに何をしてくれた? 金をくれたか? 自由をくれたか? 愛をくれたか?
こういうときだけしゃしゃり出て、善意の仮面を被って自分に都合のいいファシズムを展開しようとする、その腐った根性が許せない。
もしここを読んだあなたが「オレには関係ねぇ」と思ったなら、もう一度よく考えて下さい。
ひとまず、具体的な例を挙げます。
あなたの大好きなハードコアパンクを演奏しているバンドが突然差別的な歌詞を歌ったとします。そしてそれを聴いた誰かがそれを差別的なものとして受け止めたとします。そうしたらそのバンドには即、令状も無しに家宅捜査や資料押収、出頭要求が出されます。しかも拒否した場合は犯罪者として処罰されるのです。
どうです? ファシズムとしか思えない国家になると思いませんか?
この危険な法律は関係無いと思われていたハードコア兄ちゃんや絵描きの人、貧乏監督などをも生殺しにしてしまいます。表現が殺されるわけですから、世の中の表現は全て味気の無い偽りのメッセージソングや風刺漫画、偽りのドキュメント映像などになってしまうわけです。
反対運動も色々な場所で持ち上がっていますが、まだまだ生ぬるいです。可決されたら日本の文化が壊滅するのですから、悪しきカルト教団である××(公○党)が中心となって提案したこの呪われた法案を、我々は絶対に粉砕しなくてはなりません。
だいたい、こんな法案に賛成するような奴は××の信者くらいしかいないでしょうしね!
このままだとかなりの確率でこの法案が可決されるという危険な状況にあることを、皆さん一人一人が自覚してください。
この人権擁護という名の人権侵害を、皆さんはどうお考えですか?
まさに仙台の最強面子!
B まあがれっと じゅん(責任転嫁)
Vo りゅうぢ(DISARRAY)
Dr ひでき(REBEL)
そしてギターはブラッドベリーのヒロミさん。
ここでもりゅうぢ氏のボーカルはカッコよく、素晴らしいハードコアソノシートである。
「気弱そうに施しを受けたら賢者を背後から殴り倒す」
いったいこの世界観は何なのだろうか? 純粋な悪を描くにしてはいささか狂気的に思える。そしてあの渋いハードコアサウンドが状況を盛り上げ、混沌は拡大したまま幕を下ろす。
仙台には行ったことがないが、とんでもないところなんだろうな、と思わせてくれたのが責任転嫁とこのビトウシャであった。
ギターの音が真正面から迫ってくる、まさにジャパニーズ・ハードコアなのだが、私はヒロミさんのブラッドベリーの方のライヴ音源などは聴いたことが無い。おそらくG-ZETのCDに入っていたあのスタイルなのだろう。
もっと他にも聴いてみたいが、そんなに音源の残っている人達でもないし、未発表モノの再発を待つことくらいしか私に出来ることは無い。ただ、とにかく興味が尽きない魅力を持っていることは確かである。
ロックンロールは悪魔の音楽だった。ストーンズにしろブラック・サバスにしろ、彼らが黒魔術的な方法の一つとしてロックを選択した若者たちであったことは旧知の事柄である。
海外のサタニズムのニオイがするロック・カルチャーは、ミック・ジャガーがケネス・アンガーの映画にあのようにして関ったことからも推測できるように、ドラッグ漬けの悪魔崇拝から成り立っているものである。それは土着的な習慣や信仰へのカウンターとして機能していたものであるため、日本での効果は現地のそれと比べるとイマイチな感じがしないでもなかった。
では、日本にそのような悪魔の音楽をやるバンドがいなかったのか? と問うならば、いたのである。しかもとんでもないバケモノバンドとして今も伝説化されて語り継がれているバンドだ。
そのバンドこそがこの村八分である。
チャー坊の歌詞は日本特有のカウンターであり、サタニズムに代わる武器として吐き出された。ドラッグの影響丸出しのメンバー写真、冨士夫のとにかくかっこいいギターフレーズ、インパクトのありすぎるステージ、そしてその強烈なバンド名などで、あまり表にだされることはなかったバンドであるが、影響力は凄まじいものであった。
いままでは主にこの二枚組みライブだけが入手しやすい音源であったわけだが、先日ついにボックスセットが発売され(しかもDVD付き!)、封印が解かれたこの村八分。日本で最も凶悪で危険なロックをやっていた彼らの演奏を改めて聴いてみると、やはり魔術的な印象はあるものの、その日本でしか成し得なかったであろうサタニズムに代替する迫力がしっかりと息づいており、本物のロックの恐ろしさを思い知った。
それにしても、チャー坊と冨士夫のルックスは本当に恐い。学生時代、街でこんなのに絡まれたら嫌だなぁ、というどうでもいいことをよく考えた。本物の不良の持つ迫力が、村八分の存在に更に拍車をかけていたことは事実であろう。
これから村八分を聴いてみよう、という方にはぜひあのボックスをオススメしたい。内容がいいボックスセットなんて滅多にないが、アレは買って損はないと思う。未発表音源やDVDだけでなく、この『ライブ』もリマスタリングされて完全復刻で入っている。
「本物のロック」という言葉を幻想で片付ける前に、この演奏だけは聴いてもらいたい。
間違いなく、これはロックである。
ついに村八分のボックスが発売され、その充実した内容に感動したわけなんですが、よく考えたら山口冨士夫のソロに関しては書いていなかったので改めてここで紹介。
まずはプライベートカセット。これがおそらく冨士夫音源の中で最も素晴らしく、サイケデリックな質感も伴った異色ともいえる一枚だと思う。再発されて本当によかった。
特にラストの『STONE』はラリーズを経由した冨士夫が独自のサイケデリックを打ち出した決定的な一曲であると思うし、他の弾き語りもすべて純粋な歪み方をしている。
村八分でのストーンズ風の楽曲が好きという人にも、ここにある純粋なロックを聴いてもらいたい。ジャケットもクスリの香りがぷんぷんする風景であるが、ここにある音との相性は最高だ。日本のロックを代表する一枚として、村八分以外の冨士夫作品を一枚選べと言われたら私は絶対にこれを挙げる。
二曲目の『Just Friend of Mind』の「サングラスかけたまま泣いてた」とか、聴いてるこっちが泣きそうになるフレーズも最高にクール。『捨てきれっこないさ』とか、本当にしみじみとするいい歌が詰まっている。