世の中の右と左そしてうしろ 暗がりで笑う人をみたときや 銀行のATMで現金を取り忘れたときに なんとなく読むブログ
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2006年01月のアーカイブ
ついにこのシリーズも六回目。さすがに記述ばかりで音源のリリースはまだか! と熱心なスラッヂファンから怒られてしまいそうなので、ややスローペースにしてみました。
まだまだ書くことはたくさんあるのです。
今回はスラッヂ関連の作品の中でも、最もその存在が知られていないEPを紹介したい。
これはもうスラッヂ云々ではなく、ひとつのニューウェーブとして聴いてもらいたい音源である。スガワラ氏が女の子二人を連れてきてスラッヂの「夜光少年」などを録音しているのだが、今現在にこそ聴かれるべき種類のテクノポップであると思う。
手作り感覚に溢れたジャケット、女の子の素直な歌、そして不可思議なアレンジ。
当時のシーンにおいても、これをカテゴライズするなどというのは愚かしい行為であろう。まったく何にも似ていない極私的な音楽だ。突然変異というよりは、別の現実に在り続ける感覚である。
楽曲の打ち込みのリズムは、一聴するところ、TR808あたりのキック音に聴こえなくもないが、実はドクターリズム一台で長時間を費やしてシーケンスを組んだものだという。これは昨今の何でもデジタルで簡単に編集をしているテクノ系ミュージシャンにはマネのできない偉業である。ローランドのリズムマシンを使った者なら分かると思うが、あれを別のシーケンサーに同機させるというのは相当な労力を要する。せっかく組んでも微妙にずれていたり、不可思議な効果によってスネアの音が消えてしまったりと、幾たびのハプニングに見舞われるのである。
そんな大変な作業で、大抵は出来上がってもしょぼいだけのテクノポップ止まりというのがオチなのであるが、このシングルはあのキック音のチープさが逆に良い方向へ作用していて、苦労が実っているように私には思える。
もともとの曲がカッコイイというのはあるが、アレンジにおける執念といった視点からも、私はこのシングルを評価したい。素晴らしいニューウェーヴサウンドである。
スラッヂといえばスガワラ氏の迫力のある捻れたボーカルというイメージがあるが、ここでは女の子ボーカルの起用によって完全にポップな別の曲として「夜光少年」も生まれ変わっている。スラッヂの音楽が好き、というヒトが聴いたら「?」と思うかもしれないが、私は別モノとしてこれは良質なレコードだと思う。
興味深いのは、現在音響系ヒップホップと呼ばれている音楽に質感が似ていることだ。敢えてこのようなビートを持ってくるヒップホップ系の人たちは多いし、ポップな楽曲も新しさがある。似ているヒップホップアーティストは…、アンチコン周辺のWhy?あたりだろうか。ロックのスタイルをヒップホップのビートで、なおかつポップで奇怪な装飾もつけて提供しているというのは、なかなか凄いことであると思うのだが…。
補足すると、このシングルは、当時18歳の専門学校生であった島田春美さんと14歳の女子中学生の子が歌い(スガワラさんも後ろで歌っているが)、スラッヂとは違う質感でありながら、どこかが共通したあの狂った感じを堪能できるというレコードである。プレス数は500枚ぐらいで、そのうち何枚売れたのかは不明である。
できればこれも再発したいなぁ…。とは思うのだけれど、一刻も早くスラッヂ本体の方を世に送り出したいので、ひとまずは紹介だけさせていただきました。でも、いずれはこれも正式に出したいです。
この前、実家に帰ったら親がプロジェクトXのビデオか何かを観ていて、部屋に田口トモロヲの声が響き渡っていた。
というわけでばちかぶり。
スラッヂの資料やスガワラ氏の話からすると、対バンでよく出ていたのがばちかぶりだったようだ。
この時期のばちかぶりは音はパンクなんだけど、色んな方向から考えるような姿勢が良い。ただひねくれ過ぎな感じはありますが…。オンリーユーにしても、ひねくれ過ぎてストレートなパンクに逆戻りした感じだし、この時期は実は迷走期なのでは? と思う。
個人的には以降のファンク路線が大好きだ。こんなに演奏上手かった? というぐらいまとまったオシャレなアルバム「白人黒人黄色人種」をベストに挙げたい。
じゃがたらの影響は強いが、これはこれでオリジナルな黄色人種向けファンク。CD化の時に「ワーストオブばちかぶり」になっていたが、こっちのがいいんじゃないかなぁ。
ゲストがやたら豪華だったファーストと、この「一流」はひねくれパンクな、一般的なイメージでのばちかぶりが聴けるが、できれば「白人黒人~」も聴いてほしい。
なぜナゴムからリリースしたのかは分からないが、ある意味すごくナゴムらしいバンドだったんじゃないかと思う。結果論かもしれないけれど…。
いま過去のエントリーをずっと眺めていて、FRICTIONについて書いていないことに気づいた。忘れていたのではなく、もう既に書いたつもりになっていたのが原因である。
さて、このフリクションのライヴ盤は「軋轢」発売前に録音されたもので、正式にリリースされている音源の中では一番本来のフリクションらしい音が聴ける良質なアルバムである。最近になって突如CDで発表されたわけなのだが、聴きなおしてみるとけっこう荒削りな感じで「軋轢」より全然かっこいい。
以前恒松さんに聞いた話によると、レック氏があの再発では全て指揮していたらしく、もともと音質の悪かった音源をなんとかあそこまでの状態にまでしたらしい。
まさに完璧な一枚であるが、セットでついてきたDVDの方は…、まぁ資料的には貴重なんだけど。
やはりナマで当時のフリクションを見てみたかったなぁ、というのはあるが、現在CDという記録媒体のおかげで、こうして当時の演奏を好きなときに聴けるのだから、文明の進歩には感謝したいと思う。
※以下はフリクションを未聴だという方のために書くので、既に知っている、またはもう疲れたという人は読まなくても大丈夫です。
軋轢が始まると、周囲の景色が変貌してしまう。
それまでの日常が、常識が、自分のPositionが、明らかに狂っていく。
人間の軋轢、精神の軋轢、現象の軋轢。
どんな軋轢にしろ、結末はいつもアレだ。
激しく衝突したまま、ゆっくりと落下していくイメージ。
金属的なものから、天災のような惨事までが同時多発的に侵入してくる。
パンクでもロックでも何でもよかった。方法論に縛られてしまうことは不幸だからだ。
ただ一度のミスもせずに軋轢を知ることができる者は、今後絶対に軋轢を知ることはできないだろう。
だから、誤りが正解に近づくのだ。
もう、暗い部屋で一人血を流しているだけじゃ、時代は変わらなくなってしまったのである。
三田寛子の魅力を文章で表すなどというのは無駄な努力であろう。GOROか何かに載った彼女の水着写真のインパクトたるや、人種や世代を超えた影響力をもってして現在まで息づいている。
彼女の楽曲はやはりあの初々しい歌声によって信じられないような劇的効果を発揮している。
デビュー曲「駆けてきた処女」は井上陽水という天然サイケな作曲者の手によるものであるが、実際に楽曲へ命を吹き込んでいるのは三田寛子のボーカルだ。でなければ、あの曲があそこまでの魔力を保有しえたとは考えられない。
そして、三田寛子といえばスラッヂの片岡理氏である。
片岡氏は熱心な三田寛子ファンで、あるときテレキャスターに三田寛子のステッカーを貼り付けてライヴへ登場し、他メンバーを唖然とさせたというエピソードもある。ちょうど、スラッヂが骨太ロックをコンセプトとして活動していた頃だったため、三田寛子のパブリックイメージからするとバンドにとっては異質な空気だった筈である。
その後、片岡氏は三田寛子に捧げる曲コンテストのようなイベントで見事優勝!! 「握手した手は洗わない」と断言するほどの嬉しさを見せていたという。
片岡氏のソロにおけるフリークアウトさや、スラッヂでのあの屈折しまくったテレキャスの金属的な音を知っている者ならば、このエピソードは意外に思えるかもしれない。だが、よくよく聴いてみれば、片岡氏の根底にあるものが歌謡曲と骨太ロックがぐちゃぐちゃに入り交ざった不定形な物質であることに気づかされる。
テレキャスというのは、もともと図太い音を出すギターではなく、カントリー系のミュージシャンに愛用されていたギターである。それをあれほどまでに強烈に切り込んでいくかのような音で弾いたのは私は片岡氏以外には知らない。
サウンド面で、片岡氏の使っていたエフェクターというのは、某楽器店で3000円程度で売られていたファズをスガワラ氏がプレゼントしたものをずっと使っていただけだという。それ以外にエフェクターは使用していなかったらしい。
そのエフェクトペダルは、金属製のいかにも鉄板といった感じの筐体で、中身も電池ボックスのスペースと基盤一枚といったシンプルな作りであった。そのエフェクターは繋げておくだけですでに異音を発し、踏むと爆発したようなフィードバック音が鳴り響く凄まじい一品だったという。
しかしながら、テレキャスとそのエフェクターがあったところで、そこいらのギタリストにはあの強烈な演奏はできないだろうと思う。片岡氏の演奏は『何かが狂って』いた。この世のものとも思えないような、背筋の凍る残忍さを感じることもあれば、限りなく優しい温かみを感じるときもある。まったく別の次元から発せられているようで、確実に現実を切り刻んでいるような、なんとも形容し難い性質の演奏であるが、それは片岡氏以外にはできないものなのだ。
たしかにコンセプトは骨太のロックだったかもしれない。ただ、片岡氏の演奏から窺える自由さというのは、ロックのフォーマットを突き破って無効化するほどの驚異であったことだけは確かである。
ついに片山氏ともお会いして、スラッヂファンとしては恐縮する一面、どんどん色々なエピソードを聞かせていただいて狂喜してしまいました。菅原氏と片山氏の話から得た情報をそのまま文章にしたら本が一冊できてしまいそうな濃い情報が盛りだくさんで、ここにはちょっと書けないようなこと(例えば灰野敬二が…××)もこっそり教えていただいたりして、もう何とお礼を言っていいか分からない状態です。
そんなわけでスラッヂと当時のその周辺に関しての膨大な情報を得てしまったのであるが、それを一度に書くことはもったいないと思い、まずは順を追ってセカンド・シングルの紹介をしたい。もちろん、少しづつスガワラさんや片山さんにお聞きした内容も混ぜていくので、このスラッヂについてシリーズは今後もかなりの長期に渡って書き続けていこうと思っている。
全国のスラッヂファンは今こそその思いをここでコメントしてほしい。
このセカンドでは前作よりもサウンドがソリッドさを増し、当時のスラッヂのスローガンであった『骨太ロック』によりいっそう近づいたものとなっている。
ジャケットはスガワラさんの手によるもので、前作同様素晴らしいアートワークである。ちなみに裏ジャケは片岡さんが担当。スラッヂのジャケットセンスの良さはもっと注目されるべきものだと思う。
『工事現場でまた見つかった死体』は、前回よりもフリークさが増している演奏で、歌詞も違う。歌詞が違うと言っても、スラッヂの場合は演奏する度に菅原さんの歌詞が違うものなので、どれが正しい歌詞とは誰も断言できないようになっている。菅原さんはその場で思いついたフレーズなどをバッとマイクに向けて歌うのであるが、あとで気に入った箇所はノートに書き写すなどしていたらしい。一応後に残すつもりはあった、と菅原さんは語っていた。
『窓辺のアルルカン』はスラッヂの中でもかなりノリのいい曲で、ライヴの音源でも凄まじい勢いの演奏を聴ける。けっこうこの曲をベストに挙げるファンも多かったのではないだろうか? あと、この曲に関しては「おもしろい客」のエピソードがあるのだが、それは次回にまとめて紹介したいと思う。スラッヂ周辺にはどういうわけか面白い人物や変わった人々が多く登場するのである。
『生』は美しい曲だと思う。スラッヂの演奏はギターという楽器をとにかくフリーキーに鳴らしていた。後の凡百のギターロックバンド勢には無い、ある種のオリジナルな狂気を持ってして構成されているのだから、当然の結果なのかもしれないが、実際に音を聴くと度肝を抜かれる。スラッヂとはそういうバンドなのだ。
このセカンド、世に出ているスラッヂの音源の中では最も優れた内容であると思う。聴きやすいのに物凄く深く、そして純粋にカッコイイ『ロック』であるという点で、これはスラッヂ入門には最適な一枚かもしれない。
いったい何の影響を受けたらこんな世界になるのだろうか? と思っていたら、菅原さんからたいへん興味深いことを聞いたのでその言葉で締めたいと思う。
「影響を受けたのは…、湊マサコだね。あれは凄い影響を受けた」
本当に、底知れないバンドである。
スラッヂの一枚目を改めて聴いてみて思うのは、やはりその独特の世界があまりにも特異かつ洗練されたものだったということだろう。
まず、ジャケットが素晴らしい。黄色は注意を促す色であるが、ここでの効果的な使用法には恐れ入る。箱男の文字も懲りまくった書体だ。
内容は更に謎を深める。『工事現場で見つかった死体』という曲では既にタイトル通りの「工事現場で見つかった死体」以外の意味を最初からかなぐり捨てている。これをシュールレアリスムというだけで片付けてしまうのは早とちりというものであろう。ここでの『工事現場』を高次の現場として比喩してみても良いし、なぜ死体が見つからなければならなかったのか、なぜ死体がそこにあるのか? といった疑問を聴き手側で生成してみるのも面白い。スラッヂの世界には主体的な決定権が不在になっているからだ。
二曲目『夜光少年』では「硬い光の中じゃ目も見えない」という一文が現れる。光の硬度について言及するロマンティシズムの鋭さはやはり文学的な質感を感じてしまうが、それと同様に「黒い家具」や「受話器のベル」といった象徴的なモノが配置されている限り、それはやはりスラッヂの一部分なのだろう。
表題曲『箱男』は一曲目から、物語の開始の意味を持って始まっている。ここではダンボールの箱の中で生きる男が描かれているが、そこでの絶望感は無い。全てをシャットアウトしてしまうような拒絶ではなく、ある程度外部の侵食を許した上での拒絶に見えるのは、ダダイズムに内在するコミカルな一面なのかもしれない。
三曲目の異色作『恋するギャルソン』はおそらく少女の狂気をダイレクトに一人称で表現したものである。ここで少女という定型を持たない精神状態のシンボルを挿入することによって、スラッヂの物語性が大幅に狂気を帯びる。しかしながら、客観的に楽しめる類の異質さであるからこそ、ここでの物語は聴き手に突き放されないのだ。むしろ、愛着を感じるような迷路である。
駆け足で全曲紹介してしまったが、サウンド面での解説をしなかったのはやはり自分自身の手でスラッヂの世界を覗き見て欲しいからであり、文章での音楽説明ほど事実を歪めてしまうものもないと思ったからである。
それにしても、とんでもないレコードだ…。
よく言われる歌詞のドラマ性やサウンドの親しみやすさを抜きにしても、太田裕美が素晴らしいと断言できるのはその歌唱がとてもよく『鳴っている』からだと思う。
無の状態から何かを作り出すような、クリエイティブに満ち溢れた性質の歌では無く、それに接触したものすべてと共振するような伝達機能の優れた歌だ。
だからこそ、そこで歌われている事柄が『涙拭く木綿のハンカチーフください~』であったとしても、実際に木綿のハンカチーフを欲しているわけでもないし、涙が流れているわけでもない。それらはすべて歌を効率よく伝達していくための潤滑剤のような役割しか担っていないのである。
だからといって、作詞者や作曲者の存在を殺害しているわけではない。『さらばシベリア鉄道』を一聴すれば分かると思うが、楽曲自体の魅力が太田裕美の歌の魅力を更に強化する形でうまくまとまっている。作為的な部分もあるにせよ、ここまでうまくこなせるというのは明らかに天賦の才能であろう。
また、太田裕美の声質が多分に呪術めいたテイストを含んでいるように感じられるのは、その球形のような声が絶えず回転しながら、多角的に聴き手を魅了しているからだと考えられる。つまり、A地点から発せられた『恋人よ~僕は旅立つ~』が、B地点から『東へと向かう列車で』の時点でまだ聴き手の内部で鳴っているのであり、更にそれがまた別の顔を持ってして訪ねてくるようなカラクリが随時展開されているのだ。Aの場所からの声がBの地点では最初の『衝撃』に加えて別の感情を更に聴き手に突きつけ、Cの場所に到達するとまた違った側面からのアプローチが開始される、といった具合である。
そして注意したいのは、Aの地点で鳴っている瞬間にも、Zの地点からの歌が存在しているということであり、その同時多発的な性質こそが、太田裕美を魔術的に演出しているのではないかと思うのだが、木綿のハンカチーフを冷静に聴くと、そんなことはどうでもよくなってしまう。
素晴らしい表現であるならば、やはりそれはそのままの姿で受け入れるべきなのだろう。そんなことを、私は太田裕美から学んだのである。
顔の無い人間がいたとする。その人物が泣いているのか、笑っているのか、怒っているのかは客観的には分からない仕組みだ。しかし、それが確実に「生きている」のだということだけはハッキリと分かる場合がある。
スラッヂはまさにその状態だと思う。
情報のほとんどが得られにくい状況で、音源も入手困難。たまにその名は出されるものの、伝説として、自分ではない他人の曖昧な記憶から語られる言葉から、一体何が引き出されるというのだろう。
この状態はTHE SLUDGEの音楽にとっても、それを好む者にとっても歯がゆいものだ。あんなに素晴らしいものが、それを欲する者に届かないという現状を何とかして好転させるには、スラッヂの演奏記録をまとめて世に送り出すしかない。
THE SLUDGEは死んでいない。
ここ数日の間、スラッヂの音源を聴き続けた。
「RED CROSS」には本当に感動して、久し振りにギターで弾いてみたりもした。
この音源を出さなかったら絶対に後悔する…。そんな気持ちがどんどん強まっていった。そして、スラッヂの音楽がまだしっかりと生きていることに気がついた。涙が出そうだった。
スラッヂの演奏からはサイケデリックなニオイがすることがときどきあって、それは絶対に片岡さんが発しているものだと思っていたのだが、実はそれが菅原さんのものであったというのも新しい発見であった。
特に『窓辺のアルルカン』はずっと片岡さんのギターだと思っていたものが、実は菅原さんが弾いていると聞いて驚いた。
スラッヂの独特の酩酊感は片岡さんのナチュラルに歪んだ資質と、菅原さんの持つ深い混沌とした世界がうまく解け合わさって生まれているように思える。
菅原さんが大学のとある部に入部したとき、隣の部室からまるでフリクションのようなとてつもない演奏が聞こえてきて、覗いてみたらそれが片岡さんの演奏であったというTHE SLUDGE結成以前のエピソードを聞いたとき、片岡さんのソリッドな音はフリクションにも通じるものであったことに気がついた。
そして菅原さんの悪夢のようなあの詞こそが、スラッヂにサイケな香りを与えていたのだという気がしてきたのである。
スラッジの演奏には今聴いても時代背景を一切感じさせないスタイリッシュさがある。大抵の音楽は時代の空気を余分に吸い込んでしまいがちであるのだが、スラッジに関しては周囲の空気を拒絶でもしているかのように、THE SLUDGEそのものであり続けている。
そしてそんな性質の演奏であるからこそ、もっと世に伝播させたいと思うのだ。
THE SLUDGEは本物のロック・バンドである。
私がTHE SLUDGEに初めて触れたのは、曖昧な記憶なのだが確かライヴカセットであったように思う。ものすごい不思議な質感の楽曲と他の何にも似ていない世界観、そして圧倒的なギターの音。THE SLUDGEというバンドのイメージに私は心酔していた。
その後、シングル二枚と片岡氏のソロなどを入手し、更に深みへハマって行った。もう海外のどんなバンドよりもスラッジの音にやられた。
あるときブラッディ・バタフライのオムニバスでdip the flagがスラッジの名曲「RED CROSS」をカヴァーしていたのを聴き、THE SLUDGEのオリジナルのスタジオ録音での「RED CROSS」が聴いてみたくなった。しかし、どうやら「RED CROSS」のスタジオ録音盤というのは世に出ていないようで、いくら探してもTHE SLUDGEの演奏する「RED CROSS」は聴けないままだった。
何年も経って、スラッジのことを思い出すきっかけになったのは自分のこのブログだった。スラッジの一枚目である「箱男」と同名の小説を紹介したときに、Yさんからコメントを頂いて徐々に記憶が蘇ってきたのである。
急いで実家のレコード棚を探してみると、片岡さんのソロ作二枚がでてきた。スラッジの二枚はどこか奥の方へ入っているのか、見つけることができなかったのであるが、久し振りに聴きなおした片岡さんの楽曲にはとんでもない衝撃を受けた。
それからしばらく経って、ついに先日、ふとしたきっかけからなんと、THE SLUDGEのボーカルであるスガワラさんにお会いできた。
上野の喫茶店で、スラッジのことや当時の貴重なお話を色々と聞かせてもらえ、更にTHE SLUDGEの未発表音源、ライヴ音源などが詰まった素晴らしいCDまで頂いた。もう感無量である。
私の失礼な質問にもいろいろと答えていただき、その上未発売の音源まで聞かせてもらって、本当にスガワラさんとTHE SLUDGEの皆さんには感謝しきれない。
スガワラさんからは色々と興味深いエピソードを聞かせていただいた。
当時の片岡さんがゴム長と作業着でライヴに来たりしたこと、永寿日朗が青山に開いていた伝説的なスペース「発狂の夜」のライヴの様子、ヤマジさんとTHE SLUDGEのメンバーが一緒にスタジオへ入ったら、ヤマジさんがスラッジの楽曲をすべて完璧に弾いたこと、スガワラさんが片岡さんと初めて出会ったときのことなど、とてもここには書ききれないほどたくさんのエピソードを語ってもらえた。
本当はインタヴュー形式で掲載しようかと思ったのだけれど、それはまたの機会にきっちりとまとめたいのでひとまずはこういった形で書いておきたい。
昨日は家で一人、スガワラさんから頂いたCD-Rを聴き続けた。特に、大好きだった「RED CROSS」は何度も聴いた。未発売のスタジオ録音、そしてライヴ音源。どちらもこのまま埋もれてしまうのはもったいない魅力に満ち溢れているし、THE SLUDGEという素晴らしいバンドがあったことをもっと知ってもらいたいと思った。
そして実は、THE SLUDGEの音源をまとめて再発しようという話が持ち上がっている。
これは絶対に再発されるべきであるし、ネット上でTHE SLUDGEを検索してもまったくヒットしない現状を考えたら早急に対処すべきだと思う。THE SLUDGEの演奏が忘れられてしまっては文化的に重大な喪失であるからだ。
だから、私もTHE SLUDGEの再発に携わることに決めた。
いろいろと権利関係の問題もあると思うので、さすがに私が勝手にプレスしたりすることはできないが、THE SLUDGEのメンバー、関係者の方々と話し合って何とか今年中には店頭に並ぶように進めたいと思う。できる限りのことはしていきたい。
ここまで入れ込んだバンドはTHE SLUDGEが初めてであるし、それほどにまでRED CROSSでの片岡さんが弾くテレキャスの音が強烈であったのである。
どういう形で関っていくかは未定だが、私は何らかの形でTHE SLUDGEには恩返しがしたいのだ。
タイトルに「その1」とあるように、THE SLUDGEに関してはこれからも何回かに分けてじっくりと紹介していきたいと思うし、いずれは皆さんへ素晴らしい音源そのものを届けたいと思う。
最後に、忙しい中わざわざ私のような一ファンのために時間を割いてくれたスガワラさんと、THE SLUDGEのメンバー皆さんに感謝します。本当にありがとうございました。
今後ともTHE SLUDGE再発に向けてよろしくお願いします!