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« 太田裕美 | メイン | THE SLUDGEについて その4 『AFTER THE SLUDGE』 »
スラッヂの一枚目を改めて聴いてみて思うのは、やはりその独特の世界があまりにも特異かつ洗練されたものだったということだろう。
まず、ジャケットが素晴らしい。黄色は注意を促す色であるが、ここでの効果的な使用法には恐れ入る。箱男の文字も懲りまくった書体だ。
内容は更に謎を深める。『工事現場で見つかった死体』という曲では既にタイトル通りの「工事現場で見つかった死体」以外の意味を最初からかなぐり捨てている。これをシュールレアリスムというだけで片付けてしまうのは早とちりというものであろう。ここでの『工事現場』を高次の現場として比喩してみても良いし、なぜ死体が見つからなければならなかったのか、なぜ死体がそこにあるのか? といった疑問を聴き手側で生成してみるのも面白い。スラッヂの世界には主体的な決定権が不在になっているからだ。
二曲目『夜光少年』では「硬い光の中じゃ目も見えない」という一文が現れる。光の硬度について言及するロマンティシズムの鋭さはやはり文学的な質感を感じてしまうが、それと同様に「黒い家具」や「受話器のベル」といった象徴的なモノが配置されている限り、それはやはりスラッヂの一部分なのだろう。
表題曲『箱男』は一曲目から、物語の開始の意味を持って始まっている。ここではダンボールの箱の中で生きる男が描かれているが、そこでの絶望感は無い。全てをシャットアウトしてしまうような拒絶ではなく、ある程度外部の侵食を許した上での拒絶に見えるのは、ダダイズムに内在するコミカルな一面なのかもしれない。
三曲目の異色作『恋するギャルソン』はおそらく少女の狂気をダイレクトに一人称で表現したものである。ここで少女という定型を持たない精神状態のシンボルを挿入することによって、スラッヂの物語性が大幅に狂気を帯びる。しかしながら、客観的に楽しめる類の異質さであるからこそ、ここでの物語は聴き手に突き放されないのだ。むしろ、愛着を感じるような迷路である。
駆け足で全曲紹介してしまったが、サウンド面での解説をしなかったのはやはり自分自身の手でスラッヂの世界を覗き見て欲しいからであり、文章での音楽説明ほど事実を歪めてしまうものもないと思ったからである。
それにしても、とんでもないレコードだ…。
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カセットしか持ってないから初めてジャケ見れた☆
懐かしの太陽レコードっぽい感じでカッコいいです!
投稿者 Y : 2006年01月17日 22:12
ジャケット、ホント素晴らしいんです!
スラッヂはジャケットデザインも良質なのです。
できればカラーでブックレットに掲載してほしいな~なんて思ってます。
投稿者 森本 : 2006年01月17日 23:55
お〜っ☆もしブックレットがつくなら
当時のライブのフライヤーもぜひ載せて欲しいところです!
投稿者 Y : 2006年01月18日 23:14
もちろん、フライヤーも載せたいですね!
実はスガワラさんから素晴らしいフライヤーを一枚頂いたので、それは絶対どこかへ掲載したいです。
これだけ凄い重要なバンドなのに、今まで再発の話がほとんど無かったのが不思議です。
投稿者 森本 : 2006年01月18日 23:34