太田裕美

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 よく言われる歌詞のドラマ性やサウンドの親しみやすさを抜きにしても、太田裕美が素晴らしいと断言できるのはその歌唱がとてもよく『鳴っている』からだと思う。
 無の状態から何かを作り出すような、クリエイティブに満ち溢れた性質の歌では無く、それに接触したものすべてと共振するような伝達機能の優れた歌だ。
 だからこそ、そこで歌われている事柄が『涙拭く木綿のハンカチーフください~』であったとしても、実際に木綿のハンカチーフを欲しているわけでもないし、涙が流れているわけでもない。それらはすべて歌を効率よく伝達していくための潤滑剤のような役割しか担っていないのである。
 だからといって、作詞者や作曲者の存在を殺害しているわけではない。『さらばシベリア鉄道』を一聴すれば分かると思うが、楽曲自体の魅力が太田裕美の歌の魅力を更に強化する形でうまくまとまっている。作為的な部分もあるにせよ、ここまでうまくこなせるというのは明らかに天賦の才能であろう。
 また、太田裕美の声質が多分に呪術めいたテイストを含んでいるように感じられるのは、その球形のような声が絶えず回転しながら、多角的に聴き手を魅了しているからだと考えられる。つまり、A地点から発せられた『恋人よ~僕は旅立つ~』が、B地点から『東へと向かう列車で』の時点でまだ聴き手の内部で鳴っているのであり、更にそれがまた別の顔を持ってして訪ねてくるようなカラクリが随時展開されているのだ。Aの場所からの声がBの地点では最初の『衝撃』に加えて別の感情を更に聴き手に突きつけ、Cの場所に到達するとまた違った側面からのアプローチが開始される、といった具合である。
 そして注意したいのは、Aの地点で鳴っている瞬間にも、Zの地点からの歌が存在しているということであり、その同時多発的な性質こそが、太田裕美を魔術的に演出しているのではないかと思うのだが、木綿のハンカチーフを冷静に聴くと、そんなことはどうでもよくなってしまう。
 素晴らしい表現であるならば、やはりそれはそのままの姿で受け入れるべきなのだろう。そんなことを、私は太田裕美から学んだのである。

投稿者:asidru 2006年01月13日 17:50

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コメント: 太田裕美

”太田 裕美”の声には心から癒されます♪
”木綿のハンカチーフ”も大好きですが、”九月の雨”、”さらばシベリア鉄道”も大好きです!
声も好きですが、曲も良いのが大好きな理由かも。

投稿者 METAL-CAT! : 2006年01月13日 21:27

曲が良いのはたしかですが、それ以上に歌がずば抜けてます。
歌というより声質ですかね。
つまりは好みの問題(笑)。

投稿者 森本 : 2006年01月13日 21:30

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