世の中の右と左そしてうしろ 暗がりで笑う人をみたときや 銀行のATMで現金を取り忘れたときに なんとなく読むブログ
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2006年02月のアーカイブ
再びハードコア特集。
ボーンズです。これまた不思議な感じのコーラスとかもバッチリ入っている名作。
プレス枚数が少ないのか、あまり中古で見かけませんが、やっぱりプレミアついてるんでしょうか?
この時代の関西のハードコアは本当に面白く、もっと知名度があっても良いものなのだが、紹介するメディアが存在していないが故にどんどん埋没していっているような気がしてならない。できれば積極的にサルベージしたいのだが、私もどれをどこにしまったのか、売却したのか誰かに貸しているのかすら分からないという杜撰な管理をしているがために、このような遅々としたペースでの紹介になってしまっているのである(いいわけ)。
今現在の耳で突然こういった音源を聴くと、人によってはかなり奇妙に聴こえるかもしれない。ただ、その違和感こそが「味」なのであり、こういった過去のパンクが持っている良さというのはそういう部分にこそ内在している。
できればガイドブックみたいなものをきちんとどこかの出版社が作成し、こういった盤もしっかり紹介&再発して欲しいものだが、やはり世の中金にならないことには皆積極的にならないもので、かつてのヒット作や話題作は持ち出しても、こういったレコードは素通りしてしまっているというのが現状なのである。
そしてそれがただ単に紹介されていないというだけで「誰も知らない音楽=つまらない音楽」というくだらない図式を一般層へ組み立ててしまう危険性すら秘めている。
妙な誤解や誤った認識をこれから音楽へ興味を持つ世代へ持たせないためにも、ここで断言しておきたい。
この世につまらない音楽など無い。
いわゆる何も考えてないようなコメントはつまらないので全部削除します。
外人業者・荒らしの類はすべて削除していますが、もっと面白いことしてください。面白ければ削除しませんので。。。
というわけでフリーダムを持ち出したのは、最近日本のハードコアが少ねぇじゃねえか、という苦情(苦笑)があったからであり、もっとみんな自由にやってもいいんじゃないかな? という思いが強くなってきたからである。ただでさえ規制が多い世の中で、更に自ら必要も無い足かせを嵌めて自虐的に笑うというのはどうかと思う。
表現ぐらいは自由にした方がいい。それは他者によって気にくわない類のものであるならば、そういう人はシャットアウトするだろうし、発信する側が自主規制するような腰の引けた状態であっては、先へ進む道が見えることなどないからだ。
ここに入っている音は大変ユニークである。ハードコアというのは一本調子な性質のものでは決して無い。こういった不可思議な音がレコードとして記録されているという事実が既に自由なのである。
残念なことに、入手においては自由度は低く、けっこうなレア盤となってしまっている。だが、私にはこういった趣のあるハードコアパンクが正等に評価されるフリーダムな時代がすぐにでも来るような、そんな気がしてならない。
ポストパンク、ノーウェーヴ系の再発が盛んだが、この盤について誰も触れていないというのはどういうことなのだろう。
METABOLISTは最高に重苦しい思考の絞りカスのようなものが、鼓膜から脳へ侵入してしばらくまとわりついているような音楽である。いわばウィルス式のポストモダニズムなのであろう。
この時期にしかできなかった、究極的な演奏。これをちょっとした遊び心、もしくはロックカルチャーの寄り道だなどと軽視していると、いつのまにかこちらがメインストリームとして機能していたりするかもしれない。
このレコードが再発されないのは、意識的な絶望の回避ではなく、ただ単に知名度が低いだけだと思っておきたいものである。
不登校の子供のいる一家には必ず一枚欲しい大名作。
ここにある音を聴いて、音楽を拒絶しているかのように感じるならば、それはまったくの誤認である。
ディス・ヒートの感覚の根にあるものは一種の偏執的な変質だ。徹底的に突き詰めた上で周囲の状況や聴いた者の感覚を変化させていく。
そんな演奏が、まるで呼吸を止めて体温を奪うかのような作用を聴き手に及ぼしたとき、ディス・ヒートの本音のようなものがようやく伝達される。その瞬間に聴き手が「今音楽を聴いている」という自覚を完全に捨て去ってしまう状態になることが、このレコードの恐ろしいところだ。
呪術的であるが数学的な様式も見え隠れしているこの音は、しばらくの間廃盤が続いており、熱心なファンに歯がゆい思いをさせていたのであるが、先日突如として紙ジャケット使用で再発された。私はアナログ盤と以前出されたCDを一枚づつ持っていたので、まだ今回のものは買っていないが、いずれは購入してみたいと思う。
この次のシングル、Health & Efficiencyでは少し分かりやすいアプローチに変化しつつも、このファーストにあったディス・ヒートの魅力を発展させていたことに驚いたし、更にセカンドDeceitにおいては、60年代のロックが保有していたサイケデリックのグロテスクな部分を拡大して身に纏ってすらいた。このバンドについて下手な説明はまったく必要が無いし、彼らの音はそれを望んでいない。
ここで書けることは、ディス・ヒートというものが存在している、ということだけに留めておこうと思う。
あとはそれぞれが体験すればよいことなのだから…。
私が愛してやまない一枚。
あれだけ騒がれたネオアコも、もはや過去のムーブメントのような扱いをされてしまっている感じを受ける。いま再びこういった盤を聴きなおしてみて分かるのは、ひたすらポップで聴きやすい音楽であるということ以外には何も無いのだが、その究極的にポップであり続けるということはなかなか難しいことなのであり、このブリリアントコーナーズは当時のネオアコ勢の中でも、かなり良質なクオリティの高い楽曲で話題になったバンドである。
現在、こういったバンドが、例えば米国のニルヴァーナのように間違った伝説化(商品としての曲解されたイメージ)をされていないことは救いであるが、逆に知名度が低くなりつつあるのはもったいない。
こんなに良いものなんだから、後世に語り継いでいってもいいのではないか? と思うのだが、すでにこの名作アルバムにもプレミアがつき、CD再発も行われている様子はない(カナダかどこかだけでは売ってるらしい)。
良いレコードを忘れてしまうというのは本当にもったいないことであるし、それは過去に固執することとはまったく別のことだと思う。良いものはいつまでも良いものとして受け継がれていくべきだと、こういったレコードを聴く度に主張してしまいたくなるのは、やはり音楽の魔力なんだろうか?
五番目の「NO NEW YORK」として伝説となっているTheoretical Girls。
突然こんな編集盤が出ていたので思わず手を伸ばしてしまったのだが、グレン・ブランカのバンド時代の録音が聴けるという意味でも非常に貴重なアルバムだと思う。
やみくもに音を出すのではなく、ある種の信条、思惑などがしっかりと環境として根付いているからこそできる壮絶な演奏がバッチリ収められている。
曲はノイズそのものな実験精神に溢れたものから、直球のパンク、現代音楽のイディオムを利用したものなど様々であり、どれも確かな手ごたえを感じさせる良質な音源集だ。
まぁ、NO NEW YORKのバンドが好きなヒトには一瞬ツメの甘いバンドだと思われてしまうかもしれないのだが、よく聴けばここにある冷徹なまでの実験精神が異常なものだというのが理解できるだろう。一聴しただけでは「よくあるニューウェーヴ」でしかないが、この楽曲と演奏者の間にある不思議な距離感覚が絶妙なのである。
純粋にNO NEW YORKのバンドやソニック・ユースが好き、というだけならば、このバンドには触れなくても大丈夫。ただ、得体の知れないこのバンドのエクスペリメンタルな姿勢を垣間見たいならば、何が何でも聴くべき一枚である。
私個人としては大名盤だと思う。
中東は燃え続ける。
こんなに真摯なメッセージが、当時のハードコアにしては珍しい高音質で、バンと提示される。
このEPの魅力は計り知れない。
クレイはオムニバス以外ではこのEPしか出していないのだが、いまだにその強烈な存在感を支持する者は後を絶たない。
いわゆる型にはまったパンクではなく、全力で叩きつける演奏が新鮮だった。そんな日本のハードコアを語る上で絶対に外せないのがこのシングルである。
残念なことに、ドグマリリースということもあってか、再発はされていない。よくオークションで馬鹿みたいな高値がついているが、たま~に輸入盤のパンクコーナーで間違えて200円とかで売られていることがあるので、そんなときは絶対に買った方がいい。
巨大の音の塊とポリティカルなメッセージがボコボコ殴りかかってくる壮絶なバンドである。
大人になれば チョコレートたべて いろんな事を考えるものさ 『大人になれば』
一億人の妹、二代目コメットさん、衝撃のヌードなど、大場久美子に対するイメージは色々とあると思うが、その歌手活動の側面はあまり語られないままになっている。
つい最近、Arctic Monkeysというのが良いらしいと聞いてレコード店へ行ったのだが、間違えて大場久美子のファーストアルバム『春のささやき』を買ってしまった。
それまで、私はデビュー曲の「あこがれ」ぐらいしか知らなかったのだが、アルバム一枚を通して聴いてみて初めてこの良さに気がついた。
サウンド的には職人気質の作曲家たちによるソフトロックの歌謡曲的解釈なのであるが、作曲者の意図を全て破壊せんばかりに自由闊達な久美子のボーカルが炸裂しているため、まったく別の音楽として機能してしまっている。
彼女の歌こそ模範的な本来のアイドル歌謡曲であり、革新的なまでの斬新なスタイルであったと思う。
とにかく私的に詩的に深く入り込んでくる曲間のナレーションが秀逸であるが、もともとの楽曲そのものがクオリティの高いものであることが、さらに彼女の素晴らしい歌唱を後押ししている。
ラストの「電話ください」の歌いだしが森田童子ばりのサイケデリック空間へ突入しているのは、大場久美子の歌唱がもともと歌謡曲という使い古されたフォーマットにそぐわない成分を含んでいるからであり、革命的な歌手としてもっと認識されるべきだと思った。
全国のサイケデリック・スピード・フリークスは何も言わずにこれを聴いた方がいい。あと近年の希薄な歌謡曲にうんざりしている方にもオススメしたい。これをプレイヤーにセットすれば、それまで信じていた歌謡曲のヴィジョンが痛快なまでに破壊されていく光景を見ることになるだろう。そこからがあなたのパンクムーブメントの夜明けである。
何も信じなくてもいい、ここにあるナチュラルな日常の裏側を受け止めればそれで何かが変質するのであるから、その感覚だけを抱いて落ちて行けば良いのである。
ナムジュンパイクが亡くなった。
彼の創作センスは好きだったので、ショックは大きい。
フルクサスを知り、彼やジョン・ケージの音楽・表現への姿勢に影響を受けた者にとって、今回の死はあまりにも切なく、悲しい。
ナムジュンパイクの無意識的なセンスから創造される音楽や映像は、そこに「在るかもしれない」ではなく、「在ってもよい」である。曖昧な無意識ではなく、受け手の許可的性質によって存在の定義が固められるものだ。
だから、ある人間にとってはめくるめくサイケ映像も、別の者にとってはただの画像の連続に過ぎないというありふれた事実を強調して反映してしまうという、恐るべき性質を内包している。
フルクサスの残党というだけでなく、現在進行形でインパクトのある作品を発表していただけに、本当に今回の死は悔やまれてならない。
心から冥福を祈りたいと思う。