世の中の右と左そしてうしろ 暗がりで笑う人をみたときや 銀行のATMで現金を取り忘れたときに なんとなく読むブログ
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ナムジュンパイクが亡くなった。
彼の創作センスは好きだったので、ショックは大きい。
フルクサスを知り、彼やジョン・ケージの音楽・表現への姿勢に影響を受けた者にとって、今回の死はあまりにも切なく、悲しい。
ナムジュンパイクの無意識的なセンスから創造される音楽や映像は、そこに「在るかもしれない」ではなく、「在ってもよい」である。曖昧な無意識ではなく、受け手の許可的性質によって存在の定義が固められるものだ。
だから、ある人間にとってはめくるめくサイケ映像も、別の者にとってはただの画像の連続に過ぎないというありふれた事実を強調して反映してしまうという、恐るべき性質を内包している。
フルクサスの残党というだけでなく、現在進行形でインパクトのある作品を発表していただけに、本当に今回の死は悔やまれてならない。
心から冥福を祈りたいと思う。
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