世の中の右と左そしてうしろ 暗がりで笑う人をみたときや 銀行のATMで現金を取り忘れたときに なんとなく読むブログ
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2005年10月のアーカイブ
チェスタートンの作品に見られる諧謔精神は風刺的なジョークではない。あるべくしてあった、もしくは動かすことの出来ない存在として埋め込まれていたものである。
そこでは狂気と道徳が同じ地平の上で成り立っている。線引きはなされていないのでは無く、区分けする必要性がないから行われていないのだ。
彼の作品を「探偵小説」として捉えることに抵抗を覚えるのは当然である。何せ一人の人間を殺すために戦争を始めるなんていう「通常ならば間違っている筈の理論」がまかり通っている上に、そこを基準として物語が構築されているのだから、常人なら戸惑わずにはいられないだろう。
また、彼の詩的なセンスも見逃せない。見方によっては狂気ととられても仕方が無いような表現が、作中で乱れ飛んでいる。登場人物が全員狂人(もちろん一般読者の基準から見て)なのだから、そのセリフのすべてが倒錯に満ちた退廃的な魅力を伴っているとしても不思議ではないのだが、それをここまで見事に「探偵小説」として表現しきっている作家は他にいない。
チェスタトーン作品の歪みを体感したくば、その著作を手に取る他道は無いだろう。初心者にはあまりにも衝撃が強いので、まずはブラウン神父シリーズから入門するとよい。奇妙な味のする「探偵小説」として創作された物語は、今も書店の片隅に並んでいる。チェスタトーンの作品が容易に入手できる環境の方が狂気的だとは思うが、とにかく体験しておいて損は無い作家である。
おそらくミルフォードは「ミルフォード・グレイブスとゆかいな仲間たち」なアルバムにしたかったのだろう。しかしながら、当時の日本のフリー・ジャズ界にそんなコンセプトに合わせてくれる素直な人間などいなかったわけであり、結果として殺し合いのような様相を呈してしまったというのがこのアルバム。
とりわけ安部薫は当時の来日の際、ミルフォードのドラムセットの前に立ちはだかってアルトを吹きまくり、演奏を止めなかったそうで、「次からはあいつを外してくれ!」とミルフォードげんなり。安部は「おれの勝ちだ!」などと意味不明な勝利を確信していたらしく、他のメンバーもわりと好き勝手にやっていたというのは有名な話。
そんなミルフォードと日本の変人による奇跡のセッションなのであるが、やっぱり安部のアルトが吹き荒れており、それを全力で潰そうとするミルフォードのプレイが他のアルバムより生々しい。
フリージャズ史の中でも重要な一枚ですね。
思えば十代の頃、某ソフトロック取り扱いレコード店ですでに異常なプレミアがついており、めちゃくちゃ聴いてみたいのに聴けなかったこの盤がいつの間にかCD再発されていた!!
というわけで早速購入してみる。
そして湧き起こる期待の中、再生スウィッチを押して聴こえてきたのは極上のポップ・チューン。これは素晴らしい。まさにソフトロックの大名盤である。
裏ジャケで水色の衣装に身を包んだ彼らが妙にポップ(というより奇妙なポップ)だし、音はレベルの高いソフトロックなので1500円くらいで輸入盤を買っても全然損しません。
グリーン・タンバリン(レモン・バイパーズの名曲)とかも演ってるし、いままで国内盤が出ていないのが不思議です。
ファンキーなうねりを出来るだけスタイリッシュに。
スタイル・カウンシルは呪術から始まる最新機械の取り扱い説明書だ。
つまり土着的科学。宇宙の塵からはじまるエトセトラである。
だから都市部で人気。若い子から音楽オタクまで、皆スタカンのトリコ。
というわけでいまさらこのアルバムについて何か書くこと自体抵抗あります。素晴らしいし大好きなアルバムなので、今日は控えめのエントリーで。
それにしても忙しい最近、空腹と眠気で発狂まであとわずかです。
毎年寒くなってくると腰痛になるのですが、今年もまたあの苦しみを味わうと思うと…。
…ちなみにカフェ・ブリュも最高です。
ハードコアだと思って買ったら、スローなホラーパンクだった。
多分大阪のバンドで、リリースはスケルトンレコード。
いったいこのバンドは何の影響でこんなサウンドになったのだろう? ミスフィッツにしては勢いが無いし、ポストパンクにしては荒削り過ぎる。
特に異様なのはB面一曲目。何を考えたらこんな気味の悪いコーラスを入れられるんだろうか?
とにかくあらゆる意味で不可解な一枚。こういうのを聴くと、本当にジャンルとか時代背景とかどうでもよくなりますね。最高です。
ちなみにこのキマイラというバンドの曲はここでしか聴いたことが無いのですが、他にも作品があるなら知っている人教えてください。
理由ではなく、原因が闇(病み)に包まれている。
エイソップ・ロックの登場はヒップホップシーンにおいて、その根源的な部分を闇に隠したまま、強烈なインパクトをもっていた。彼のラップがダークな色彩のみで構成されている原因は、疲労の表現を音と言葉で行ったが故の結果がダイレクトに繁栄されているからである。
突き詰めた疲労。エイソップのサウンドから滲み出る重さには、倦怠感ではなく、とてつもない疲れが感じられるのだ。
このアルバムの30分ほどの短い時間は、全てモノクロームの精神的苦痛に支配されており、通常のアッパー系ヒップホップを聴き慣れた者にとっては非常に辛い体験になるかもしれない。だが、本当の意味で生活→政治までの表現を展開するならば、ここにある手法こそが有効なヒップホップだと思う。
社会における個人の、その各々が病根なのだというイメージを、エイソップは常に抱きかかえているのである。
今最も売れているお手軽避妊薬『ネオサンプーンループ錠』。
※殺精子剤メンフェゴールを有効成分とした避妊用膣薬です。有効成分メンフェゴールは、天然のテルペン油(植物油)からつくられた非イオン型界面活性剤の一種で、膣内で溶けて殺精子効果を発揮します。
『やっぱり男はナマが一番!! 亀頭さんも大喜び!!
じかにエキサイトピストン!!!!
死ね死ね精子! 死んでまえ!
金玉が空になるまで生ハメしたことありますか?
ピストン中毒無制限再起不能超絶射肉祭が今始まる!!』
というラジオのコマーシャル放送を耳にするようになってから、私の中での種の起源幻想は粉砕され、ダーウィンの死に顔が原人に見えて仕方が無いという豆腐屋の主人の箪笥の中にはいつだって対精子用最終兵器『ネオサンプーンループ錠』が尊形鎮座ましまして證誠殿とあがめしかば、貴賎心を傾け遠近歩を運び、神慮を仰がざるはなかりきというわけなのです。
だからこその殺精子という状況、背景、55分の車窓から。われわれが飛び立つための儀式としてそれがしめやかに行われるならば、背徳的行為としての性交渉そのものの共犯幻想すらをも地獄へ叩きつける結果となるわけなのです。
避妊が栄誉ある浪費として認識されるような文化的位置づけをなされるならば、このクスリは喪失することの自由を追求するものにとっては必要不可欠であるのかもしれない。
ジャケットに大きく「HARD ROCK」などと書かれているが、実態はガレージ系のファズ・サイケ。多分本人たちもハードロックの意味とか演奏法とかよくわからなかったんだと思います。ムチャな感じのファズギターがジャージャー鳴って、下手めの演奏が炸裂します。
ただ、オリジナル盤が異様に高いために知名度はそこそこあるバンドです。誤ってハードロックコーナーで激安販売されていたら即買いましょう。
一応CD化され、私もこうして聴いているわけですが、一体何人の人間が真剣にこのバンドをフェイバリットとして挙げるか、と考えると寂しい気持ちでいっぱいです。
下手にプレミアがついてしまっているレコードほど、CD再発されたときにあまり評価されていない気がしますが、どうなんでしょう…。
本作は71年作なのですが、音だけ聴くと60年代から抜け出せていないのが丸分かりで、更に奇怪なゴスペル風のコーラスがガンガンに絡むために正体不明の怪しさを醸し出しています。それでも、けっこう聴き続けていると耳に馴染んできてしまうのが恐ろしいです。
これがドリーミーサイケの代表格なのは、アルバム一枚通して同じ空気が流れているから。
GANDALFはNYのメロウなソフト・サイケだが、リリースはこの一枚のみ。それでもサイケを語る上で絶対に外すことの出来ないアルバムである。
とにかくオリジナル曲もカバー曲も、GANDALF特有のドリーミーサイケとして昇華されている。この独特のサウンド作りは異色であり、とにかく聴いて判断してもらいたいのだが、常軌を逸した変態サイケの世界がたっぷりと詰っている。
奇妙な空気感覚はサイケムーブメントの影響もあるのだろうが、それよりもこのバンドの先天的な変態性が素晴らしいのである。
本質的にはサイケだが、極めてナチュラルな酩酊感が他のバンドとの格差を生んでいるために、このアルバムは特殊なドリーミー・サイケの名盤として君臨している。
68年Massachusetts産サイケデリアの傑作。
ジャケット裏にヴェルベット・アンダーグラウンド風味、みたいに書いてありますが、サウンド的には(というかボーカルの声質が)ジョン・レノンです。精神的な面ではヴェルベッツが保有していたサイケ感覚を持ち合わせているようでいて、表面ではポップ・サイケな香りがするという、いるようでいないタイプのグループです。
注目なのはCDのボーナスで収録されているアンプラグド音源で、ここでの演奏はサイケデリックと呼ぶに相応しい酩酊感に包まれていますね。
虚脱感に包まれた中で放たれるジョン・レノン風のボーカルがクセになるので、しばらくは封印しますが、薄暗い部屋で一人聴くにはぴったりの一枚です。
GAIの記念すべき一枚目。もうすでにこの時点でノイズコアとしてのサウンドは完成させているし、ラストのBLOOD SPIT NIGHTでは後のスワンキーズ・サウンドとの共通点も見られる。
これとは別に1981~1985というカセットが出ているのだが、そちらの方はCD化されていない模様。でもほとんどの音源はまだCDで入手可能(ただし定価が妙に高い)なので、どうしても欲しいという人は買ってみてください。スワンキーズもガイもとにかくカッコイイです。
パンクという意識がここまでストレートに打ち出されると、やはり嬉しくなりますね。聴いているだけで気分が高揚してくる凄い一枚です。
一本の筒を常識と喩え、その真ん中を切断し、断面から覗いたものが抑圧された本能であったならば、人間の道徳などただの空虚な装飾に過ぎない。
ハードコアがその切断面を露出するための刃物として機能するなら、我々にとってもっとも有効な道標、もしくはワクチンに代替すべき存在なのかもしれない。
リップに吹き飛ばされ、システマに切り刻まれ、ガーゼに消毒され、オウトに嘔吐するといった一連の浄化の流れで理解するものは、やはり実存であるのだろう。存在の中に込められた何者かの意思など無いのであるから、自意識の位置と形態にこそ解きほぐすカギは隠されているはずだ。
この一枚さえあれば、現実世界を生きることに何らかの指標を打ち立てることが可能である。それは逃げ道であるかもしれないし、突破口かもしれない。ただ、良い方向へ向かいたいならば、これを聴かない手は無いだろう。
4バンドの新録EPを集めて一枚に、というコンセプトは、無意識のうちにとんでもない装置に変貌していたのである。まさに究極の一枚。
ハードロックという言葉と実際のサウンドが見事に一致するのは、このアルバムの一曲目に針を落とした瞬間だと思う。まさにハードなロックが飛び出し、後にヴァン・ヘイレンに加入するサミー・ヘイガーのグラマラスなシャウトが聞こえた時、一つの完成形としてのハードロックが見事に姿を現すのである。
後にハートに加入するデニー・カーマッシも、このアルバムでは異常なテンションでドラムを叩きまくっており、メンバー全員の一番旬な時期を収めたアルバムと思っても間違いでは無いだろう。
ハードロックという言葉の田舎くささやぬるい感じは一切ここには無い。殺人的なまでにハードなロックミュージックを、モントローズは一曲目「ロック・ザ・ネイション」で完成させてしまったからである。
当時のアメリカン・ハードロックの中で、このアルバムは最も殺傷能力の高い一枚である。ただ、そのために後の彼らのサウンドには首をかしげることになるわけだが…。
73年、サイケの空気が去った後にやってきた強烈な爆弾がこれである。
元モブスのシンさんがヴォーカルの超強力ロックンロールハードコア!!
このアルバムはメンバーチェンジを経て、過去の名曲も収録した集大成的一枚。とにかくシンさんのワイルドなヴォーカルが危ない魅力たっぷりなんですが、うねりまくる元ボーンズのFUNNYARA氏のベースも素晴らしく、更にギターにオウトのカツミ氏、ドラムに元モブスのトシ氏が加入したため物凄い迫力になっています。これは関西ハードコア史から見てもかなり重要な面子ですね。
名曲揃いなので一枚通してカッコイイわけですが、何よりもラストの「MAD SISTER」が終わった後に、もう一度再生スイッチを押してしまう衝動に駆られるのがこの盤の凄いところ。
何度聴いてもカッコイイです。ロックンロールコアならシティ・インディアン。本当に凄いバンドでした…。
ついに買ったこのセカンド!! 素晴らしいです。
一枚目も良かったのですが、この二作目は段違いの傑作で、もはや彼らは職人の域に達しています。
リズムがものすごくしっかりしているので、ノレる曲調だし、歌詞もいいです。
とんでもない人達がでてきたものですね。グラスゴーというのはすごい土地です。
80年代のポップスやニューウェーブを通過したTレックスといった感じでしょうか? なかなか一言じゃ表現できないニューサウンドです。
ひょっとしたら個人的に今年のベストになるかもしれません。クオリティ高過ぎ。もう何も言えません。とにかく素晴らしい新譜です。と、何か薄っぺらな感想で申し訳ありません…。あまりにも良いのでなかなか上手く書けないんです。とにかく名作!!
ソフトロックの人気が下降しているらしい。どうやらあの熱病のように流行した「ソフトロックブーム」は既に冷めており、本盤のような優秀なアルバムも最近ではあまり見かけなくなった。
渋谷系、あるいはフリッパーズ・ギターの影響などで、大きく取り扱われていたこれらのソフトロックの名盤は、今再び聴かれることを待ち望んでいるに違いない。
という勝手な思い込みで、今回はこのアルバムを推薦したい。
一曲目からいきなりどキャッチー。続いてぐんぐん引き込まれる甘いソフトロックの世界が待っている。
こういったアルバムの再評価が一時的なもので終わらないためにも、我々はソフトロックなんていうジャンルをあえて認識しない姿勢で臨みたい。下手なジャンル分けが音楽の命を削り取ることになるのは、もう分かっている筈だ。これ以上無駄な音楽の死を作り出さないためにも、白紙の状態で過去の音楽に接していきたいものである。