世の中の右と左そしてうしろ 暗がりで笑う人をみたときや 銀行のATMで現金を取り忘れたときに なんとなく読むブログ
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チェスタートンの作品に見られる諧謔精神は風刺的なジョークではない。あるべくしてあった、もしくは動かすことの出来ない存在として埋め込まれていたものである。
そこでは狂気と道徳が同じ地平の上で成り立っている。線引きはなされていないのでは無く、区分けする必要性がないから行われていないのだ。
彼の作品を「探偵小説」として捉えることに抵抗を覚えるのは当然である。何せ一人の人間を殺すために戦争を始めるなんていう「通常ならば間違っている筈の理論」がまかり通っている上に、そこを基準として物語が構築されているのだから、常人なら戸惑わずにはいられないだろう。
また、彼の詩的なセンスも見逃せない。見方によっては狂気ととられても仕方が無いような表現が、作中で乱れ飛んでいる。登場人物が全員狂人(もちろん一般読者の基準から見て)なのだから、そのセリフのすべてが倒錯に満ちた退廃的な魅力を伴っているとしても不思議ではないのだが、それをここまで見事に「探偵小説」として表現しきっている作家は他にいない。
チェスタトーン作品の歪みを体感したくば、その著作を手に取る他道は無いだろう。初心者にはあまりにも衝撃が強いので、まずはブラウン神父シリーズから入門するとよい。奇妙な味のする「探偵小説」として創作された物語は、今も書店の片隅に並んでいる。チェスタトーンの作品が容易に入手できる環境の方が狂気的だとは思うが、とにかく体験しておいて損は無い作家である。
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ブラウン神父シリーズは、とても独特で奇妙な味があって結構好きです。古典の推理小説というか、そういうの、大好きなのです!
投稿者 zuma : 2005年11月02日 07:16
zumaさんもブラウン神父シリーズ好きなんですね!
私もハマりました。
他の短編もすべて赴きがあっていいです。
チェスタトンは古典ですが、新鮮です。
投稿者 森本 : 2005年11月02日 15:54