2006年11月のアーカイブ

Andrew Chalk  「East of the Sun」

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 言葉がいらない状況とは、ここにあるような饒舌な静謐さのことを指すのだと思う。
 無意識的な知覚を刺激していく工程の中で、必要となるであろう要素の断片が静かにゆっくりと浸透してくるような、一種の自己啓発空間を演出することもできる音だ。
 Andrew Chalkの「East of the Sun」は、三種類あり、一つはオリジナルカセット、もう一つはそのカセットの完全復刻として最近リリースされたCD、そしてこの画像の少し特殊なカタチでリリースされたCDである。
 三種の中で、僕はこのアルバムに最も強い思い入れがある。
 まず、ジャケットに惹かれた。この森と空のコントラストの美しさ。思わず手にとって購入したのが7年ほど前のこと。そして、再生した時に聞こえてきたあの期待を遥かに上回る信じられないぐらい繊細でダイナミックな音。
 Andrew Chalkを音響・ドローン系のアーティストの一人だなんて僕は思わない。ここにある呼吸のような感触のダイナミズムと、光と闇を交互に編みこんでいくようにスケッチされた風景こそが、彼の世界の本質なんだと思っている。

投稿者 asidru : 17:57 | コメント (4) | トラックバック

あざらし 「アザラシイズム」

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 しみったれた叙情性を確実に破壊せしめる怨念形のパンクである。土着的なデカダンスを前面に押し出したとき、たいていの三流バンドならばただの「湿ったパンク」で終わってしまうところを、あざらしはサウンドの持つ深さと鋭さを身につけることによって簡単にクリアしてしまっている。
 中途半端なコンセプトは笑いに転化しかねないという危険性を帯びているが、あざらしには徹底したある種の職人意識というか、しっかりとしたイメージの固定が貫徹されているめがゆえに、純粋にカッコイイバンドとして体験することができるようになっている。
 本作では以前に比べてテクニックの向上がみられ、世界観をより一層広げることに成功している。東京は高円寺20000Vで行われたライヴも、パンクバンドとしての勢いを充分に感じさせる見事なステージングであった。
 いつかメグ子嬢には和風ドローンノイズサウンドをバックにポエトリー・リーディングスタイルでソロ作品を発表してもらいたい、というのが私の夢だったりする。初期のカレント93の和風版のような感じで。そのときには私が機材かついで北海道まで行ってもいいかな、なんて思っている。それくらい作ってみたい。
 今後が楽しみなバンドである。
 また、本作「アザラシイズム」は作品として完成度の高いものであるし、数量も限られているので未聴の方はぜひ早めの入手をオススメしたい。
 

投稿者 asidru : 17:40 | コメント (5) | トラックバック

RAP 「HYSTERIA」

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 今もっとも再発が望まれているバンド、RAP。
 シティロッカー(ドグマ)リリースゆえに再発が困難というのはなんとも歯がゆい感じだ。
 一つの提案としては、未発表の録音、ライブ、スタジオ別テイクなどをまとめて、新譜として出してしまうというのもアリだと思うが、やはりファンとしてはオリジナルのリマスタリングという形でCDになってほしいものである。
 さて、本作HYSTERIAは、それまでのRAPよりも音質が向上したように聞こえる。それもそのはずで、シングル3枚は8トラックレコーダーでの録音だったのに対し、本作は16トラックでの録音になっているため、音の幅は広がっている。
 楽曲もそれまでのRAPのイメージを変えることなく、コンセプチュアルにまとめあげられており、何度聴いても傑作であるとしか言いようのない完成度だと思う。これがラストになってしまったのが本当に惜しい。
 サウンド的な面では、RAP特有の曇り空のようなファンタジーに加え、ソリッドなロックの勢いも加速しており、各楽器の音もタイトに聞こえる。理想的なロックアルバムだろう。
 個人的にROUGEさんのファンだからかもしれないけど(すげー好き)、ROUGEさんってヴォーカリストとしてものすごく華やかさのある人だと思う。詩も独特の味のあるメッセージを持っているし、注目されて然るべき存在だと思うのだが、まだまだメディアの力が弱くて、RAPがどんなバンドだったか、を広く伝えようという音楽雑誌などが存在していないのが残念で仕方ない。
 ただ、ここ最近になって熱心なファンの方々がブログやサイトを立ち上げ、RAPの良さを伝達しようというムーブメントが起きている。私はそういう声を無駄にしてはいけないと思うし、どんな形であろうとそれを行う意志というのは美しいと思う。良い音でRAPの曲を聴いて、今の若い世代にもその凄さを伝えたい、という気持ちって、リスナーという立場において最も純粋なものだしね。痛いほどよく分かる。
 最後にROUGEさんに教わったベストなRAPの曲順というのを紹介しておきたい。実際私もこれで聴いてみてすごく良かったので、皆さんにもオススメします。
 再発されたらこの順がいいなぁ。

「ロックマガジン」
「アクシデンツ」
「飾り窓」
「空間のあなた」
「迷宮」
「直情径行」
「NOT FOR SALL」
「RAPOUT」
「レジェンド」
「輪廻」
「ランドスケイプ」
「ヒステリア」
「マタニティブルー」
「麻酔/魔睡」

 ラストに「麻酔/魔睡」 が来るのがポイントです。できれば歌詞カード見ながら聴いてください。RAPの世界観がよく分かります。

 本当に、再発が望ましいバンドなので、私も陰ながら応援させていただきます。
 

投稿者 asidru : 16:51 | コメント (5) | トラックバック

The Second Coming

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 NWWなどの入ったコンピ。
 なかなか見かけなくなったレコードですが、個人的に思い出の一枚。ここにある病的な音に、10代の頃は本当に驚き、興奮した。こういうやり方もアリなんだ、こういう音をレコードにしてもいいんだ、という可能性の広がり、もしくはフリーという幅の大きさを思い知った。
 ノイズは苦手という人の90パーセントが、きちんと作品と対峙していない、言わば聴かず嫌いな方だというのは私の勝手な妄想だけれど、事実そんな気がする。
 優れた作品が何なのか? 最低な作品が何なのか?
 それらを判断する能力は、やはり音そのものに触れていかなければ獲得しえないものだと思う。
 こういったレコードを聴いて、自分なりの考えを持てたなら、それが賞賛であれ批判であれ、素晴らしい結果なんではないだろうか。
 義務教育にぜひ導入すべき一枚。

投稿者 asidru : 20:31 | コメント (0) | トラックバック

JEREMY DORMOUSE 「THE TOAD RECORDINGS」

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 レアフォーク。ところどころにサイケな香りあり。67年録音、68年発売のカナダの名盤。
 いきなりボブ・ディランのBaby Blueのカバーから始まるものの、声が気だるい感じで実にゆったりと聴かせてくれるアレンジになっている。
 レナード・コーエンのカバーもさらっとした質感でやってのけるし、レア盤にしておくのはもったいないぐらい聴きやすいサウンドである。

 何年か前にCDで再発されていたので、今も探せば見つかると思う。オリジナル盤はまず見たことありませんが、あったとしても高価なのでCDで入手することをオススメしたい。

 と、こういう普通のレビューを書いていると「前みたいな批評っぽい感じで書け!」というリクエストなんかもあったりして、最近はブログ更新が遅れまくっている。
 現在、音楽レビューはただ上記のようにレコードの紹介をするもの、個人的な感想を書くもの、そして批評するものの三つに分かれていると思う。特にこういう個人のブログでやっているようなディスクレビューというのはたいていが紹介や感想であって、批評は行われていない。
 音楽を批評することにはそれなりの意義はあると思うのだが、それを選択して、一円にもならない個人のブログ内で展開していく、という人は見たことがない。
 きっと、現代では音楽批評はできないんじゃないかと思う。
 それは、個々のリスナーが充分な批評を自己完結的にできてしまうからではなく、ただ単に情報の氾濫と、山のように毎日どこかで発売されている音源の量があまりにも多すぎて、聞き手の認識から批評というものが抜け落ちてしまっているからだと思う。
 いま間章のような書き手がいたとしても、音楽出版社はその批評家を無視すると思う。そして、代わりに情報だけを抽出して紹介できるライターを量産していくのだ。
 今たとえば、浜崎あゆみの新譜とこのJEREMY DORMOUSEが同時に並んでいるとして、同じ人物が両方のレビューを書かなければならないという状況のとき、浜崎とJEREMYを均一化してまとまりのある文を書くためにはやはり「紹介」というスタイルを読み手も書き手も編集者も選択してしまう。ここでちょっと先鋭的な批評家が両者をガチで論じたところで、読者は読まず、編集者は勝手に文を改竄し、批評という文化は廃退していくのである。
 それは何か寂しい気がするが、世間はJEREMY DORMOUSEのレコードにいかなる霊性が在るか? ということよりも、それが何年にどこの国から出て、どんな曲が入っているのか? という方に興味があり、メディアはじゃあその知りたい部分だけをご紹介しますよ~、という姿勢で読者のニーズに合わせたスタイルを作ろうとする。
 私は根性が捻じ曲がっているので、そういう姿勢には疑問を持つ。なぜ情報の送受信だけで人々は満足しているのだろうか?
 そしてそれは、音楽というものを情報ツールとしか扱えなくなってしまっている若い世代に多い。いまではテープやレコードでなく、MP3のような音楽ファイルで情報を得るような世の中であり、高い金を払ってでかいレコードを買い、じっくりA面B面を儀式のように正座して聞くなんていうやつはごく少数なのである。ただ、そういった儀式的な空気がなければ、音楽の楽しさや奥深さを完全に満喫することなどできないと私は思うのだが、ただ単に私が古い考えの人間なのだろうか?
 せっかく聴くなら、とことん深くまでいってみようという、一種の探究心が、現代人には足りていないと、私は思う。

投稿者 asidru : 16:27 | コメント (2) | トラックバック

NICO 「Chelsea Girl」

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 この人が重要なのは、ドラッグの香りを死ぬまで纏っていたから。
 そして幸薄そうな佇まいとあの声が、薄暗いホンモノのドラッグ・カルチャーをしっかりと伝えてくれる。
 VUもののブートが続々流出していく中、NICOのブートもそろそろ決定版が出されるのではないかと期待しているのだが、どうだろう? 時期的に出そうな感じはあるんですけどね。。

 ひとまず、この名盤を聴いてないという人は、家にあるほかのレコードを売り飛ばして買いましょう。
 それぐらい良い一枚です。
 NICOについては書きたいことが多すぎるので、あえて書きません。
 このレコード一枚にどれだけどっぷりはまったことか。。。
 罪作りな一枚です。 

投稿者 asidru : 18:48 | コメント (6) | トラックバック

THE SLUDGE  「The Brain Kept A Rollin' 」

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 80年代のロック界において、最後のカルトアイドルになっていた、ザ・スラッヂ。
 なぜか音源が出ない。中古レコードは売っていない。活動は20年近くストップ。
 そんな状況の中、突然のCD発売がなされた。
 
 まさかここまで音源が残っているとは思わなかったし、CDが出るなんて夢にも思っていなかった。
 それがこうして目の前に形になってみると、なんだか不思議な気分だ。

 後期(1985-1987年)の未発表ライブ音源がこのCDには80分近く収録されている。
 皆が期待しているあのギターの音や、捩れた迫力のボーカル、図太くうねるベース、タイトで通好みのドラムがたっぷり聴けるのである。
 ロックであることのオリジナリティは充分すぎるほど発揮していたバンドだけに、まとめて聴くと重度のめまいがする。一般のロックファンが通過してしまっても、そのうちの何人かは確実に立ち止まって耳を傾ける魅力が、ここにある演奏には満ちているのだ。

 このアルバムは決して再発ではない。
 すべて未発表の音源だけを集めた、いわば新譜なのである。だからこそ、新しい耳で、今の音楽好きが聴いて思う存分に影響を受けて欲しいと思う。
 また、当時を思い出して聴くのも再発見に繋がる良いきっかけとなるだろう。ここにある音は20年前の演奏だけれど、時代に取り込まれなかった異分子なのである。だからこそ、ここまで新鮮に響くのだと思う。

 まだ流通のルートが限られているようだが、もっと多くの人に届けられれば、確実に意義のあるリリースになると私は思っている。
 根底にあるロックのグルーブ感、踊りだしたくなる強烈な演奏。ザ・スラッヂはまだまだ転がり続けているのである。

投稿者 asidru : 10:39 | コメント (14) | トラックバック
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