世の中の右と左そしてうしろ 暗がりで笑う人をみたときや 銀行のATMで現金を取り忘れたときに なんとなく読むブログ
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2006年04月のアーカイブ
このアルバム、先日間違えてシャッフル機能をオンにしたまま聴いたらかなり印象が不気味だった。
曲順によってこうも変わるのか、とちょっとした発見はあったが、それ以上の感想は特に無い。
なんせ、かなり聴き込んだアルバムだし、これを曲解した昨今の日本のポップな歌謡パンク(青春ロック?)バンド達がたどる悲しい運命を思うとなんだか憂鬱だからだ。
拓郎のコード進行だけを真似したり、あの暴力的な日本語の乗せ方にパンクを感じることは間違ってはいないが、もっと独特な感覚があることをつかんで欲しい。
その感覚をつかむための一番の近道は、やはりシャッフル機能、これしかない。
普段はクソの役にも立たないと思っていたシャッフル機能がここまで素敵な魔法になるアルバムはこれぐらいのものだろう。
配置された楽曲の結界をシャッフル機能で破壊することによって、吉田拓郎の本来の魅力がつかめるはずである。
暇なときは試してみてください。
更新が滞ってしまった。。。
最近は本業が異様に忙しい。
あぶらだこのような音楽は心にゆとりの無いときには聴けない。
だからこそ、今日はこの一枚を紹介しておく。
あぶらだこに悲劇性はまったくなく、かといってパラノイアックなギミックにばかり気をとられていると、音楽としての面白味を逃してしまうような、そんな世界である。
変拍子であろうが、ロックであろうが、一枚の塩化ビニールにパッケージングされた時点でそれは音楽メディアに転化する。
どんなに濃厚なものをやっても、薄っぺらな企画モノのCDと同列に扱われてしまう。だが、それは裏返してみればある種の理想的な環境なのであって、決して忌むべき性質のものでは無い気がする。
メディアという単位での平均化、均一化が行われれば、メジャー・マイナーなどという余計な区分は死滅し、新しい形での音楽文化が展開されることに期待できる。
そうなってくれれば、聴き手から見てすべてのレコードが同じスタートラインに立つことができ、奇妙な差別は発生する余地などなくなるわけである。
明るい未来のためにも、あぶらだことスーパーで流すBGMのCDなんかを一緒に購入することをオススメする。あなたの行動一つが、音楽を変えるのである。
懐かしい。というかもう誰も覚えてないんじゃないかと思われるスパイリアXのデビュー盤。
プライマルのジムが好きだった人以外にとって、このアルバムを今さら聴くというのはちょっと辛いかもしれない。が、極上のギターポップ(あの時代の)であることだけは確かなので、気になる方は探してみてほしい。
ジムのプライマル時代の美しい12弦ギターの音が忘れられず、セカンド以降のプライマルは聴いてないなんていう頑固なファンにとって、これほどまでにすばらしいアルバムもないだろう。
いまさらだが、プライマル・スクリームの一枚目は最高だった。
なぜならジムがいたからである。
初期プライマルのあの煌びやかなサウンドは、ジムなくしては作れなかったと私はいまだに思っている。12インチの「クリスタルクレセント」が好きで好きでたまらなかった我々にとって、ジムがスパイリアXで復活したことは嬉しいことだったが、やはり初期プライマルでのジムが忘れられない。
現在のプライマルにジムが参加したら、とんでもないものが出来そうな気もするが、それはおそらく私のただの妄想だろう…。
9作目。地味だが、明るくクールな演奏が最高なケヴィン・エアーズの隠れた名作。
この裏ジャケットの虹がすごく好きだ。
歌詞も素直で良いし、なんだか聴いていて気持ちのいい一枚である。
表のジャケットもなかなか味があり、ジャケだけ知ってる、という人も多いのではないだろうか?
スラップハッピーのアンソニームーアがプロデュースなので、スラップハッピーファンにも聴いてほしい一枚である。
このアルバムが出た78年、パンク・ニューウェーヴの真っ盛りにこのゆったりとしたAOR風のサウンドが評価されなかったのは当然なのかもしれない。
自宅でゆったりと聞くにはちょうどいいアルバムだと思う。お気に入りのワインなんかを飲みながら…。
うたが自立している風景を見ることができるなら、ここにある場所が心地よい。
なんとなく買った一枚であるが、とても素晴らしかった。
なんというか、久し振りにいい買い物をした。
うたうという行為を徹底的にただそれだけの行為として表面へ浮き上がらせることは、思った以上に難しい作業であり、それをここまで完璧にこなしてしまう北村早樹子という才能には脱帽である。
日本語であることや、うたであることに拘りすぎてダメになってしまう歌い手が多い中で、この素直さは本当に素晴らしいと思う。一枚目にして大傑作だ。
音楽に思想や文化的な意味合いを持ち込むことは間違ってはいないが、ここにあるような透明な世界を描くためには無駄な装飾などいらないのであり、彼女が優れた作家であることを窺わせる出所の隠蔽された詩世界もまた秀逸だ。
一体どのようなバックグラウンドを持った人なのか非常に気になるところであるが、ここにあるうただけを切り取ってみても、良質なものであるということは判断できる。
表現の可能性とか、文化的な位置づけなんてものは本来どうでもいいことなのである。
ゆったりとした時間に、じっくり聴いていたい一枚。