世の中の右と左そしてうしろ 暗がりで笑う人をみたときや 銀行のATMで現金を取り忘れたときに なんとなく読むブログ
カテゴリー:ハードロック
カクタスの一枚目はとんでもない。
もう針を落として数秒後には爆音でふっ飛ばされそうになる。
この一曲目ほど強烈なハードロックも無いだろう。とにかく気合いのこもった本物の「ハードロック」演奏が炸裂しているすごい曲である。
ただ、一曲目のインパクトが強烈過ぎるがゆえに、後半の楽曲は霞んでしまっているような気がしてならない(客観的すぎる意見で申し訳在りません)。
この一曲目の尋常じゃない勢いを未体験ならば是非一聴することをオススメしたい。いままで持っていたハードロックの認識が大きく覆されることは確実である。
カーマイン・アピスの暴れまくるようなドラミングは何にしても必聴。
「ピンクのブタが飛んでてさぁ…」
中学のとき、ヒッピー風の男がそんなことを電車内でしゃべっているのを耳にした。そのとき、こいつは頭がおかしいのか? と思った。私は素直な少年だった。
しかしながら、ピンクのブタが飛んでいる、という言葉がその日以来頭から離れなくなってしまった。
毎日毎日「ピンクのブタが飛んでいる」ことばかりを考え続けた。時期的には周りが高校受験という単語を口にし始めた頃だった。
ある日、何も知らなさそうなクラスの女の子に「ピンクのブタが飛んでいるのって見たことある?」と聞いてみた。ところが、その子は顔を赤くして「何言ってんの?」と切り捨てたのである。まるで私が卑猥なことでも言ったようだった。
もうピンクのブタ幻想が私の頭の中で破裂しかけた頃、その謎は氷解した。
レコード店でこのジャケを見つけたのである。
私はすぐさまありったけの小遣いを使用して本作を購入。そしてしばらくは音を聴かないままジャケットだけを眺め続けたのだった。
しかし、あまりにも刺激が強すぎたため、私はしばらくこのレコードのことを忘れてしまう。
その後、なんとなく高校に入って、特に何もすることがなかったので古い音楽をいろいろと聴くようになった。特にサイケデリックのもやもやした感じが当時は妙に耳に馴染む気がして、聴き続けているうちにそういったレコードの知識が自然と身についていった。
トゥインクというのを知ったのはそんなときで、当然トゥインクからピンクフェアリーズのことを思い出し、本作は再びターンテーブルへ乗ることとなったのである。
そのとき聴きなおしたこのアルバムの破壊力は、いまでも鮮明に覚えている。とにかくハードでストレートな楽曲が、ジャケのイメージとは無関係に炸裂する。トゥインク在籍時の一枚目にあったようなどろっとした感じは無く、どちらかというとソリッドな質感であった。
ピンクフェアリーズに対する私のエピソードはそんなところだ。
それ以外、特にこのバンドと密接な関係を持っていたことは無い。しかしながらジャケットのイメージだけは妙に強く残っているのが不思議である。
ハードロックという言葉と実際のサウンドが見事に一致するのは、このアルバムの一曲目に針を落とした瞬間だと思う。まさにハードなロックが飛び出し、後にヴァン・ヘイレンに加入するサミー・ヘイガーのグラマラスなシャウトが聞こえた時、一つの完成形としてのハードロックが見事に姿を現すのである。
後にハートに加入するデニー・カーマッシも、このアルバムでは異常なテンションでドラムを叩きまくっており、メンバー全員の一番旬な時期を収めたアルバムと思っても間違いでは無いだろう。
ハードロックという言葉の田舎くささやぬるい感じは一切ここには無い。殺人的なまでにハードなロックミュージックを、モントローズは一曲目「ロック・ザ・ネイション」で完成させてしまったからである。
当時のアメリカン・ハードロックの中で、このアルバムは最も殺傷能力の高い一枚である。ただ、そのために後の彼らのサウンドには首をかしげることになるわけだが…。
73年、サイケの空気が去った後にやってきた強烈な爆弾がこれである。
自由の怪物である。が、しかし道徳を敵にまわしているわけでもない。そこにはきわめて魔術的なプロセスが横たわっており、ときおり美しい色彩を放つのである。そして我々はその美しさに引き寄せられ、前作「Fire And Water」と比べると幾分か地味な雰囲気であるこちらのアルバムを知らず知らずのうちに聴き込んでいるのだ。
それを簡単に洗脳だなんだと騒ぎ立てているようなら、このアルバムを聴く意味は無い。科学的な洗脳であるならば、フリーの持つ魔術的な要素は介入する隙がないからである。
自由であることが有害だなどと思っているなら、このアルバムの美しさに溺れるべきだろう。今まで培ってきた「世界」が無残に崩れ落ちてもいいという覚悟があるならの話だが…。
ツェッペリンといえばストーナー度マックスの初期とか、フィジカル・グラフィティの寄せ集め感が最高なんだけど、このアルバムの地味さは誰にも評価されていない。
多分人気の無い理由はギターが不必要にチャカついてるからで、本来のジミーペイジのプレイに見られるへヴィなスラッジ感覚が削ぎ落とされてしまっている。そんな本作を支持する者は、ハードロックファンからは後ろ指を指されるのだろう。僕はもちろん好きだけど。
ジャケットもかなり奇妙な違和感を演出しており、ちょっと「ヤバい」感じである。いったい何を考えてこんなアルバムを発表したのか、分かりかねる部分もあるが、ツェッペリンを聴くならまずこれを聴いてほしい、と個人的に思う。
この異質な感覚こそ、来るべき新時代のへヴィロックに必要な要素である。