世の中の右と左そしてうしろ 暗がりで笑う人をみたときや 銀行のATMで現金を取り忘れたときに なんとなく読むブログ
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2006年07月のアーカイブ
螺旋階段は渦を巻いたような形状の階段であるが、一部分だけを切り取れば、それはただの階段にしか見えない。全体を把握して初めてそれが螺旋階段であるという判断に至れるわけだ。
この螺旋階段が後に非常階段へと発展し、音楽性がノイズ・インプロヴィゼーションに変化した背景には、おそらくそれほど大きな転換は無かったのではないかと思える。
ここで聴けるサイケデリックなロックは、既に音楽としての位置づけを拒んでいるかのような見事な跳躍で真っ白な空へ飛び去っていった。
あとに残された群衆の顔には、夏の日焼け痕を思わせるような黒い染みが、いつまでも残った。
真実としての演奏ではなく、演奏が真実であるならば釈明は必要とされない。
螺旋階段の中で立ち止まり、捩れているものが自分だと気づくまでの、一瞬の空白がたまらなく好きだ。
Bread Love And Dreamsの一枚目は、まだ後のサイケな広がりを見せる前で、非常に美しくまとまった素朴な一枚である。
フォーク・サイケの上品な感じは確かにあるかもしれないが、それ以上にシンプルな空気が非常に心地よい。
一般的な評価が集中しているのは3作目であるけれども、本作のブリティッシュ・フォークの鑑のような演奏はやはり個別に賞賛したい。
UKのSSWやフォークが一時再評価されていたが、それらは一過性のものだったようで、今では再び細分化され、なかなか浮上できないような環境になってしまった。
もし、こういった作品を聴いて、なんらかのインスピレーションを得られたなら、個人的にどんどん古い新しいに限らず、開拓していくというのは大切な作業だと思う。
シンプルに作るということは、無駄なものを削除していくというだけではない。
最初から限られたパーツのみで構築し、贅肉を生成させないことによって完成するものもある。
この72年のボストン宅録風フォークミュージックは、そのあまりのナチュラルな完成度に驚きを隠せないぐらいシンプルだ。
うたとアコースティックギター。それだけで世界が作られている。
たとえば、毎日通勤途中に見かけていた老人がある日を境に姿を見せなくなるとする。その場合、まず脳裏に浮かぶのは老人にのっぴきならぬ事態が訪れたのだろうか、ということである。ひょっして亡くなったのか、それとも体調を崩しているのだろうか? そんなことを想ってみても、すぐに老人と毎朝出会っていたという記憶は風化していってしまう。なぜなら、日常のリズムが浸透し、老人のいた風景がその規則性の層に埋没してしまうからだ。
PRENTICE & TUTTLEは、その埋没した日常を掘り起こすような作業を淡々と行う。それは、ときに残酷なことのようにも思える。
もともと、Judy Henskeはジャジーなシンガーとして活躍しており、夫のJerry Yesterはラヴィン・スプーンフルにも在籍していた。
この夫婦が共作で作り出したアルバムが、ど真ん中のサイケデリックであったことがまず驚きである。
この後に別名義で出した2ndではフォーク風になるのだが、ここではJerry Yesterの手腕が大いに発揮され、バラエティに富んだポップな世界が展開されている。
オリジナルはザッパのレーベルから出ていたが、入手困難。最近CD化され、安価で購入できるようになったのが嬉しい。
どこかでこのアルバムがスラップハッピーのようだと書かれていたが、私はそうは思わない。スラップ・ハッピーの捩れたまま生まれてしまったような必然のサイケデリックとは違い、このアルバムは夫婦のほのぼのとした、日常を拡大した際の装飾品としてサイケデリックが選択されているのだ。
だから、表ジャケットがサイケな色をしているのに、裏ジャケットはほのぼのとした普通の写真が使われているという「日常の副産物」を感じさせるイメージが表出している。
かといって、中身は平凡なサウンド、というわけではない。この夫婦の共同作業によって作られた音楽は、カラフルで非常にクオリティの高いポップ・サイケである。ただ、酩酊するだけのトリップ感を誘発するサイケよりも、こういった日常的な遊び心の拡大によって零れ落ちたサイケの方が、休日にゆったりと鑑賞するにはちょうどいい。
ブリティッシュ・サイケ・フォーク。
ジャケは青、赤、水色の三種類があり、どれもオリジナル盤は高くなっている。
ストローブス関係なので、そういう音を想像していたが、内容はソフトサイケ風味のフォークといった感じで、聴きやすくポップ。
なぜかラストの方に入っている、「Mother Mother Mother」がかなりノリのいいサイケ・ロックサウンドなのもおもしろい。普通に聴けるアルバムだと思う。
こういった隠れ名盤がどんどんメディアで紹介されるようになって、それまで独り占め気分を味わっていたコレクターの方にとっては嬉しくないかもしれないが、僕のような一般的な音楽ファンにはとても喜ばしい状況になってきたと言える。
これからも、こういったアルバムをどんどんCD化し、手軽に購入できるような世の中になってほしい。
たしかに、マイナーなレコードのCD化なんて金にならない商売かもしれない。ただ、その結果としてそれなりの喜びや新しい発見を与えることができるのだから、軽視するべきではないと思う。
そろそろブログ復活、って何回言ってるんだろう。。
覗いてくれている皆様、すいません。まじめにやります。