世の中の右と左そしてうしろ 暗がりで笑う人をみたときや 銀行のATMで現金を取り忘れたときに なんとなく読むブログ
カテゴリー:人物
ナムジュンパイクが亡くなった。
彼の創作センスは好きだったので、ショックは大きい。
フルクサスを知り、彼やジョン・ケージの音楽・表現への姿勢に影響を受けた者にとって、今回の死はあまりにも切なく、悲しい。
ナムジュンパイクの無意識的なセンスから創造される音楽や映像は、そこに「在るかもしれない」ではなく、「在ってもよい」である。曖昧な無意識ではなく、受け手の許可的性質によって存在の定義が固められるものだ。
だから、ある人間にとってはめくるめくサイケ映像も、別の者にとってはただの画像の連続に過ぎないというありふれた事実を強調して反映してしまうという、恐るべき性質を内包している。
フルクサスの残党というだけでなく、現在進行形でインパクトのある作品を発表していただけに、本当に今回の死は悔やまれてならない。
心から冥福を祈りたいと思う。
恒松さんがギター一本でアコースティックな感じのライヴをやるときいて、詩人のイズミさんの協力の元に「青い部屋」へ行って来た。イズミさんどうもありがとうございます!
そしてあつかましくも恒松さんにちょっとしたインタヴューをしてきましたので、ここに掲載しようと思います。テープレコーダーを忘れたので思い出しながら書きます。すいません。
森本 「すいません、サイン下さい」
恒松 「ああ、いいですよ」
差し出した上の写真のジャケを見て恒松氏苦笑。
森本 「ありがとうございます! 少しだけインタヴューさせていただいてもよろしいですか?」
恒松 「ええ」
森本 「今日はギター一本で弾き語りのようなスタイルでやると聞いたのですが…」
恒松 「そうだね、僕は弾き語りって言葉が好きじゃなくて、なんていうのかな、弾きがなりみたいな感じかな、そういう形でやろうと思って」
森本 「弾きがなりですか! ちなみに曲目はどういうものを?」
恒松 「うん、今日は僕が昔聴いてた、好きだった曲をね。国内外のGSとか、あっ、これセットリストです」
森本 「ああ、いきなり一曲目がジャックスの『時計をとめて』ですか!」
恒松 「こういうの好きだったんだよ、高校の頃とかずっと聴いてて」
森本 「ちなみに早川義夫さんはどう思われます?」
恒松 「(笑)どうって言われてもなぁ。うーん、ああいうのはちょっと苦手だな。でもね、この『時計を~』は早川義夫の曲じゃないんだよね」
森本 「あっ、確かそうですね、作曲違いましたよね」
恒松 「うん。あとはカップスの本牧ブルースとかも今日やりますよ」
森本 「こういったGSで一番好きなグループって何ですか?」
恒松 「一番は難しいなぁ。カップスも好きだし、スパイダースの最初の頃とかも凄く好きだね」
森本 「ちょっと意外な感じですね、でもスパイダースはかっこいいですよね」
恒松 「かっこいい。こういうのを好きで聴いてたから、最近は好きだった曲のカバーもどんどんやっていこうかと思ってて…」
森本 「そういえば最近になってフリクションのライヴ盤が再発されましたけど、あれは恒松さんは関ってるんですか? マスタリングとか」
恒松 「ううん。ノータッチだね。あれはレックに任せてあるし、中身は聴いてないけどレックを信頼してるから」
森本 「なるほど。最近フリクションのメンバーとは会ってますか?」
恒松 「連絡とってるよ。本当、僕にとってフリクションって大切だった。だってメンバー全員が解散した後もこうして現役で活動してるバンドってそんなにないと思うんだよね、レックにしろチコヒゲにしろいまだにやってるからね」
森本 「凄いバンドですよね。若い世代にもフリクションって絶大な位置にあるんですよ。もう別格というか、神様みたいになってる部分もあって」
恒松 「自分でも誇りというか、フリクションにいてよかったと思ってる。それは最近でもよく思うよ」
森本 「再発もそうですけど、新譜は出される予定とかありますか? あの、今日やるカバー曲だけで一枚作ったりとか」
恒松 「それはあるよ。まだ正確には決まってないけど、いつかは出そうと思ってる。自分の好きな曲のカバーアルバムっていうコンセプトでね。どうなるかはわからないけど」
森本 「楽しみです。皆再発もいいけど、やっぱり新譜が聴きたいんですよ」
恒松 「そうだよね、新譜は出したい」
森本 「EDPSのジャケットなどでもそうですが、恒松さんの絵を見て思うのは何時間ぐらいかけて描いてるのかっていうことなんですけど、実際絵の制作期間というのはどれぐらいなんですか?」
恒松 「多分みんなそうだとおもうけど、一つのものを完成させるまでやるんじゃなくて、途中で置いておいて別の絵を描き始めたりとかするんだよね」
森本 「同時に平行してやるんですか?」
恒松 「というより、一枚描いてる途中で保留にして、もう一枚を描いてるときにまた思い出して最初の絵を完成させたりだとか、何年も放っておいたのを突然完成させたりとか、そういうことだよね。これは僕以外にもみんなよくやる方法だと思うけど」
森本 「あの絵はそうして描かれていたんですね」
恒松 「うん、ずっと置いておいたのを思い出して完成したっていうのもけっこうあるよ」
森本 「話は変わりますが、恒松さんにとってニューヨークってどういうところですか?」
恒松 「ああ、NYにはちょっと前に行ったよ。もうほとんど観光なんだけどね。いろんな名所をまわって、いいところだと思った(笑)。ド田舎だよね、いい意味で」
森本 「以前何かの雑誌でレックさんが『ニューヨークから日本へ戻ってきたらすごく鬱になってニューヨークへ戻りたくなった』とおっしゃってたんですが、恒松さんはどうでした?」
恒松 「僕は最近行ったし、観光だったからね(笑)。レックはやっぱり年が違うし、あの当時だったからだと思うよ。僕は旅行は好きなんだけど、チケット取ったりとかそういうのが面倒でね、全然行かないんですよ」
森本 「なるほど。では恒松さんにとって『ロック』ってなんですか?」
恒松 「うわ、難しいなぁ。うーん、とくにそういうのは考えないね。考えないで演奏してるよ」
森本 「ものすごくカッコイイので、何かロックへ対しての姿勢みたいなものがあるかと思ったんですが」
恒松 「ううん。とにかく深く考えないようにやってるよ」
森本 「あっ、そろそろ時間ですね。ステージあとで観させてもらいます。よろしくお願いします!」
恒松 「うん」
森本 「では、ありがとうございました!」
というわけで何とも中途半端なインタヴュー内容になってしまったのは私の準備不足のせいです。申し訳ないです。
恒松さんは本当にクールでかっこいい方でした。ライヴも物凄く洗練されているというか、無駄の無いステージで、その研ぎ澄まされた佇まいにはただただ尊敬するしかありません。
お忙しい中インタヴューに応じてくれた恒松さん、本当にありがとうございました。あと、サインは家宝にします(笑)。
チェスタートンの作品に見られる諧謔精神は風刺的なジョークではない。あるべくしてあった、もしくは動かすことの出来ない存在として埋め込まれていたものである。
そこでは狂気と道徳が同じ地平の上で成り立っている。線引きはなされていないのでは無く、区分けする必要性がないから行われていないのだ。
彼の作品を「探偵小説」として捉えることに抵抗を覚えるのは当然である。何せ一人の人間を殺すために戦争を始めるなんていう「通常ならば間違っている筈の理論」がまかり通っている上に、そこを基準として物語が構築されているのだから、常人なら戸惑わずにはいられないだろう。
また、彼の詩的なセンスも見逃せない。見方によっては狂気ととられても仕方が無いような表現が、作中で乱れ飛んでいる。登場人物が全員狂人(もちろん一般読者の基準から見て)なのだから、そのセリフのすべてが倒錯に満ちた退廃的な魅力を伴っているとしても不思議ではないのだが、それをここまで見事に「探偵小説」として表現しきっている作家は他にいない。
チェスタトーン作品の歪みを体感したくば、その著作を手に取る他道は無いだろう。初心者にはあまりにも衝撃が強いので、まずはブラウン神父シリーズから入門するとよい。奇妙な味のする「探偵小説」として創作された物語は、今も書店の片隅に並んでいる。チェスタトーンの作品が容易に入手できる環境の方が狂気的だとは思うが、とにかく体験しておいて損は無い作家である。