世の中の右と左そしてうしろ 暗がりで笑う人をみたときや 銀行のATMで現金を取り忘れたときに なんとなく読むブログ
カテゴリー:ジャーマンロック
誰にでも触れられたくない過去というものはあるだろうが、そんな意に反して周囲はその過去を褒め称え、絶賛する。そうなってくると、過去を背負った当人はどんどんその過去が疎ましくなり、ろくでもないものとして封印したくなってきてしまう。
Organisationのこのアルバムは、まさにそんな過去の一つ。これがクラフトワークの前身だと知っている人がはたして何人いるのだろうか?
しかし、埋もれていた筈のこのアルバムを引っ張り出したのはクラフトワークファンであり、メンバー当人らは失敗作とみなしているにも関わらず、オリジナル盤が高額な値で出回ったり、いまだにブートが出たりしているのである。
このような現象を逆手にとって、まったくの失敗作を伝説的な作品にまで押し上げる方法というのをいろいろ考えてみたのであるが、結局はクラフトワーク並みの知名度が無ければそれは不可能なんだなぁと思い至り、馬鹿なことを考えていた数分の過去を僕は封印したくなったのであった。
電子音の漂白は何も生み出さない。ただそこへ引き寄せられた魂が動作するだけである。
70年代に鳴り響く電子音の何と豊かなことだろう。
このハルモニアと題された音楽は、クラスターやノイとは別の視点からサイケデリックを見せてくれる。
戸棚にしまってあるクッキーの缶の中には、果てしない闇がつづいているんだということを幼い僕に教えてくれたのがこの音楽だった。
教会の風景、電子音が作り出す大自然。そして極彩色の闇。
絶望することに慣れていないならば、明るく終末を迎えればよいのである。
クラスターの二人にノイのミヒャエル・ローターが加わったこのハルモニアというユニットは、常に終末を感じさせるのに明るい解放感を含有した音を構築する。それがニューウェイヴの根本にあるものだと言われても、僕らはそれを疑ってやる。なぜなら、解放感を伴った終末など、絶望のプロセスには含まれないのであるし、それを望んでいる人間もこの世にはいないからだ。
人はみな終末を無意識に回避している。それを思わぬ方向から気づかせてくれるのが、ローターのギターであり、クラスターの電子音なのである。
ハルモニアの一枚目。奇妙でぎこちない、極上の音楽がここにある。
色んな意味で凄いと思った。何を考えているのか分からないを飛び越えて、何をやってるのかすらも分からない。
わりとキレイな電子音と、タイトなリズムにシャープかつ広がりのあるギター。ノイの頃もいいけど、これと次の「個人主義」は欠かせない。キャプテントリップから突如として大量にクラウス・ディンガー関連の音源が発表されたが、全て聞く気にはなれないし、金も無いのでまず押さえておきたいのはこの辺ということになる。
この時代のジャーマンロックを後のニューウェイヴやテクノの源流としてとらえても良いと思うが、それ以前に存在としてのインパクトが強烈すぎるために、個々の評価を各自が行わなければ、こういった作品は成仏しきれないだろう。つまりは自由研究の課題としては優秀な材料と言える。