世の中の右と左そしてうしろ 暗がりで笑う人をみたときや 銀行のATMで現金を取り忘れたときに なんとなく読むブログ
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電子音の漂白は何も生み出さない。ただそこへ引き寄せられた魂が動作するだけである。
70年代に鳴り響く電子音の何と豊かなことだろう。
このハルモニアと題された音楽は、クラスターやノイとは別の視点からサイケデリックを見せてくれる。
戸棚にしまってあるクッキーの缶の中には、果てしない闇がつづいているんだということを幼い僕に教えてくれたのがこの音楽だった。
教会の風景、電子音が作り出す大自然。そして極彩色の闇。
絶望することに慣れていないならば、明るく終末を迎えればよいのである。
クラスターの二人にノイのミヒャエル・ローターが加わったこのハルモニアというユニットは、常に終末を感じさせるのに明るい解放感を含有した音を構築する。それがニューウェイヴの根本にあるものだと言われても、僕らはそれを疑ってやる。なぜなら、解放感を伴った終末など、絶望のプロセスには含まれないのであるし、それを望んでいる人間もこの世にはいないからだ。
人はみな終末を無意識に回避している。それを思わぬ方向から気づかせてくれるのが、ローターのギターであり、クラスターの電子音なのである。
ハルモニアの一枚目。奇妙でぎこちない、極上の音楽がここにある。
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