世の中の右と左そしてうしろ 暗がりで笑う人をみたときや 銀行のATMで現金を取り忘れたときに なんとなく読むブログ
カテゴリー:猟奇
狼なんかよりもジャケの石野真子が怖い。今あらためて見るとけっこうヤバイ写真だね、コレ。
こういうレコードを聴いていると、世間から疎外されているような気分になるが、実際は世間から疎外されているのではなく、自己の存在が世間そのものに同化していくのである。
まぁ、レコードを聴いている、っていう密室での出来事をいきなり社会単位でのテリトリーで認識しようとするのも暴挙なわけだが、それを滑稽な姿勢だと笑い飛ばす方がどうかしている。あらゆる思考の挑戦は建設的であることが好ましいのだ。
そこで考えてみたいのは「狼なんか怖くない」とは、狼という対象など自分にとって恐怖に値しないというだけの意味なのか、それとも「狼なんか怖くない、しかし○○は怖い」という文章の頭の部分であるのか、もしくは「狼なんか怖くない」と本心では恐れているが、精一杯の虚勢を張って強がっている姿勢なのか、という問題である。
これについては他にも様々な説が考えられるのだが、結果としては「手続き」としての計算された一文であったのではないかという説を私は支持する。
「手続き」としての「狼なんか怖くない」って何? と今あなたはぽかんと口を空けたはずである。手続きとしての「怖くはない」とは、表面的な意味では打ち消しの作用をまず働かせなくてはいけない。「怖くはない」の打ち消しは「怖い」と「どちらでもない」に道が延びる。つまり、相手を惑わすための虚偽の発言として「狼なんか怖くない」という一文が表れたというのが「手続き説」である。
虚偽の発言をするということは、誰かを欺く必要性があるからで、その手続きに使用するツールとして「狼なんか怖くない」という言葉が発せられたというわけだ。
と、朝っぱらからこのように気が狂ったようなことを延々と書いているのだが、なぜ私がこんなことを書いているのかと言えば、それは石野真子の狂気性をいかにして、文章を「読む」という形で体験してもらおうかと考えた結果の苦肉の策に他ならない。
石野真子は狂気なんです。わかって!! などと書くより、こうした方がよっぽどいいでしょ? というわけであとはハンターの投売りコーナーとかでこのレコードを100円で買って聴いてみてください。そうすれば私の言わんとしていたことがよく分かるだろうから…。
すべての芸術は窃盗であり、アーティストは倒錯した盗作者である。
芸術が窃盗でないというなら何なのか?
風景画は風景を盗み、彫刻は形状の万引きに過ぎない。そのような文化を芸術として定義してしまうことに、異議を唱えなかった歴史を安倍なつみは徹底的に利用した。
窃盗はイリーガルであり、常識的には許されざる行為であるが、ことに芸術という名目を間に介入させた場合のみ、それが突如として正当な行為としてみなされる。
しかし、安倍なつみの場合はあまりにもアーティストであり、窃盗行為のイデアが芸術的枠組みを破壊してしまったのである。枠組みの無くなったアートは、ただの犯罪行為の物的証拠となり、安倍なつみはアーティストから盗人になった。
しかしながら、私は安倍だけを盗人としておきながら、他の芸術家気取りを告発しないメディアや世の中の常識ラインが気に食わない。阿倍を盗人として告発するならば、現在のオリコンチャートなど窃盗ランキングとして警視庁の管理下におくべきであるし、テレビの音楽番組など本物の犯罪者が登場するような媒体なのだから、厳重に取り締まらなくてはならないと思う。
人々の芸術への関心は、いまもっとも希薄になっている。