世の中の右と左そしてうしろ 暗がりで笑う人をみたときや 銀行のATMで現金を取り忘れたときに なんとなく読むブログ
カテゴリー:プログレ
ムーディーブルースの最高傑作とされている本作だが、改めて聴くとその異様な雰囲気にびっくりする。一体何が彼らをここまでにさせたかは不明だが、私もなぜか買った記憶は無いのにアナログとCDを一枚づつ持っている。
わりと重い音楽だが、壮大なストーリーを描こうとして拡大ではなく逸脱に向かってしまったのがよくわかる仕組みになっており、当時のプログレブームに一石を投じるどころか全身で身投げしてしまっているような捨て鉢さも感じる意欲作である。
メンバーの気合いだけは尋常ではないので、作り手の強い意志や創作への熱い思いに触れたいときはこのアルバムを聴くといいかもしれない。
いわゆるブリティッシュ・ハードロック・プログレ・サイケなんですが、いったい何のジャンルにしたらいいか分からなかったのでプログレということで。
このアルバムを購入した動機は、ただキーフのジャケが好きだったからで、中身の音に関してはまったく分からないままレジへ持っていった。
実際に聴いてみると、かなり重厚なメロディが美しいプログレ・サイケといった感じだった。悪くない、どころかすごくいい。そう思った。
こういったアルバムが再評価され続けているわりに、世間でのいわゆる「最新型」の音楽への影響が少ないのが気になる。たとえばこのアルバムに憧れてメロトロンを3台ぐらい使うバンドが出てくるとか、キーフのようなジャケ(いわゆる写真着色)を専門にデザインするレーベルだとか、そういうものがヒットチャートを作っていった方が遥かにおもしろいと思う。
今のヒットチャートに欠けているのは面白味である。別に音楽性の高いものや表現が素晴らしい音楽が売れているわけじゃないのなら、せめて面白味は欲しい。
たとえば、子供の頃、仮面ライダーの怪人図鑑や海などに住む奇怪な生き物の写真を見て抱いたあの興奮を、流行音楽で味わえたらなぁ、と思うのである。
得体の知れない魅力、というのが、子供の頃見た仮面ライダーの怪人図鑑にはあった。本来ヒーローである筈の仮面ライダーよりも、毒々しい外見の怪人の方が、見ていて面白味を感じることができたのである。
つまり、音楽のヒットチャートをエンターテイメントの一部に引きずり降ろしたのならば、そこに面白さが無ければそれはただの儲かっている人ランキング以外の何物でもないというわけだ。
面白さというのは、音楽性で表現してもいいし、アーティストのパフォーマンスでも、その双方の複合でもいい。どんな方向でもいいから他のモノとの差別化から面白味は生まれるのだ。
だから普通のコミックバンドをやって笑いをとっても、それはここでの面白味とはまた話が別である。かつてない、他では見ることのできない、感じることのできない体験をさせてくれるような何かが無ければ、ヒットチャートなど必要無い。
はたして、日本の音楽チャートは仮面ライダー怪人図鑑になれるのだろうか?
久しぶりにクリムゾンでも聴こうと思い、レコード店で新譜を探した。で、コレを見つけたのでひとまず購入してみたのである。
クリムゾンは私にとって青春であり、中学生の時に1stに出会ってからというもの、ロバート・フリップの圧倒的な狂気に魅了され、リリースされた順番に買っていったのだが、最近の作品はどうも買う気にならず、しばらく離れていたのである。
というわけで久しぶりのクリムゾン。
どんな進化を遂げているのかと期待に胸を膨らませながら再生すると…。
何コレ!?
かつての雰囲気は無くなっているわけではないのだが、圧倒的に違う。何がって、音圧が。
クリムゾンはここにきてへヴィ・ロックすら飲み込んでしまったのだ。
私は脱帽しつつも、ロバート・フリップがなぜこのような方向へ行ったのかを考えてみた。
もともと、ロバート・フリップは神秘思想の人である。彼のソロ及びクリムゾン全般に共通しているのは、その並外れたオカルト的直感に基づいた音構築であり、今回のへヴィネスさについてもそのようなきっかけがどこかにあってのことなのだろう。
桁外れの勘違いへヴィメタルと化したクリムゾン。ところどころ変拍子や奇怪なギターも入るが、今までに無いラウド&へヴィな世界を構築しているため、かつてのファンは確実に腰を抜かす筈である。
ただ、これを聴いて思ったのは、若手のミュージシャンたちがやっているいわゆる「へヴィ」とされている音楽が、極めて外見的なものであって、内側から滲み出す類のものでは無かったということだ。クリムゾンのへヴィは本当に重い。存在の根本から重く深く設置されているため、音質だけメタルゾーンとかのエフェクターで重くしている奴らとは明らかに別格である。
ロバート・フリップの「重さ」への着眼が、今後いかにして変質していくかに注目したい。