世の中の右と左そしてうしろ 暗がりで笑う人をみたときや 銀行のATMで現金を取り忘れたときに なんとなく読むブログ
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久しぶりにクリムゾンでも聴こうと思い、レコード店で新譜を探した。で、コレを見つけたのでひとまず購入してみたのである。
クリムゾンは私にとって青春であり、中学生の時に1stに出会ってからというもの、ロバート・フリップの圧倒的な狂気に魅了され、リリースされた順番に買っていったのだが、最近の作品はどうも買う気にならず、しばらく離れていたのである。
というわけで久しぶりのクリムゾン。
どんな進化を遂げているのかと期待に胸を膨らませながら再生すると…。
何コレ!?
かつての雰囲気は無くなっているわけではないのだが、圧倒的に違う。何がって、音圧が。
クリムゾンはここにきてへヴィ・ロックすら飲み込んでしまったのだ。
私は脱帽しつつも、ロバート・フリップがなぜこのような方向へ行ったのかを考えてみた。
もともと、ロバート・フリップは神秘思想の人である。彼のソロ及びクリムゾン全般に共通しているのは、その並外れたオカルト的直感に基づいた音構築であり、今回のへヴィネスさについてもそのようなきっかけがどこかにあってのことなのだろう。
桁外れの勘違いへヴィメタルと化したクリムゾン。ところどころ変拍子や奇怪なギターも入るが、今までに無いラウド&へヴィな世界を構築しているため、かつてのファンは確実に腰を抜かす筈である。
ただ、これを聴いて思ったのは、若手のミュージシャンたちがやっているいわゆる「へヴィ」とされている音楽が、極めて外見的なものであって、内側から滲み出す類のものでは無かったということだ。クリムゾンのへヴィは本当に重い。存在の根本から重く深く設置されているため、音質だけメタルゾーンとかのエフェクターで重くしている奴らとは明らかに別格である。
ロバート・フリップの「重さ」への着眼が、今後いかにして変質していくかに注目したい。
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ここ数年のクリムゾンはまったくわかりません。
ジャケを発表順に並べよ、なんて問題出されたらお手上げですよ。全部同じに見えるし、同じに聞こえる。
自分が今のクリムゾンが受け入れられない理由はハッキリしていて、フリップの老いて盛んな男性的厳格さがむせ返るほどただよっているからです。
旧クリムソには、ピート・シンフィールドの詩であったり、デビッド・クロスのバイオリンであったり、対照的な女性的柔らかさがありましたが、80年代以降にはこういった要素は皆無、なんせ復活第1弾のタイトルが「訓練」だった位ですから。
現状クリムソはこの80年代版をさらに押し進めたメタル版ですから、もうひたすら硬い。硬い。
日本ではたまに出るブートまがいのコレクター・シリーズの方がはるかに売れ行きがいいのも納得です。
ただし、今どんな音楽に夢中になっていようと、クリムソの「宮殿」を経ていないようなロック人生は認めないという、私もフリップ並みに頑固なロックおやじだったりするのです。
投稿者 吉澤 : 2005年09月13日 02:10
フリップの頑固さは何処からやってくるのでしょう?「宮殿」は聴きすぎてジャケットも盤面もボロボロになってしまいましたが、その分私の心もいい意味でボロボロにされました。つまりお相子です。
あの頃の透き通った異形の世界を構築していたクリムゾンはもう戻って来ないのでしょうね。
この新譜(?)のガチガチぶりには少し驚かされましたが、さすがに「宮殿」や「太陽と戦慄」ほどは聴き込んでいません。
しかしロバート・フリップのオカルティックな側面が沈静化したように見えるのは私の思い違いではないはず…。
投稿者 森本 : 2005年09月13日 03:23
「音楽を種類分けすべきではない。」的なことは、若年層以上が手にする音楽雑誌の殆どに、一度は触れられている気がします。
でも、クラッシックやプログレッシブ・ミュージック(どう表記するのが適当なのかさえ解かりません。)等に関しては自然と分けて考えているような気がします。
私はこれらの音楽に触れる機会に恵まれず、洋物では”ISOTOPE”和物では”Z.O.A”・”GUNJOGACRAYON”しか聞いたことがありません。無理やりカテゴライズすると前記2バンドはプログレッシブ・ロックに含まれると思いますが、後者はどうなるのでしょうか。
グンジョーガクレヨン。ご存知でしょうか。音源が2つ出てきました。どちらもアルバムの体を成していますが、そのタイトルは表記されていません。1つは初期音源の編集盤のようです。もう1つは1stアルバムなのでしょうか。曲にタイトルが付いてはいるのですが意味を成していません。
そして何よりリズムのある曲は半分程度で、全曲通して言える事は不協和音・ノイズ・言葉になってないボーカル及び奇声。不快に感じる曲すらあります。
以前、ショップのプログレコーナーのレジのお兄ちゃんにプログレとは何ぞやと聞いた事があります。その答えは「内面にあるネガティブな要素を、ボーカルを介さず演奏で表現する。」と返ってきました。グンジョーガクレヨンの表現方法はまさにこれではないかと感じた次第です。ハイ。
(編集盤に坂本龍一の名が入ってました。現在の美しい旋律のバックボーンにグンジョーガクレヨンですか。なんともはや。)
投稿者 AUM : 2005年10月15日 14:37
しばらく休んでいました、申し訳ありません。
グンジョーガクレヨン、つい先日再発されましたよ!!
でも個人的にはPASSレコード時代のグンジョーガクレヨンよりも後期の彼らの音の狂い方の方が好きです。
坂本教授は当時あの周辺のバンドと交流があり、フューとかタコにすらも参加していました。YMOというのが一つのジャンルだった時代、その対極に位置していた吉祥寺マイナー系のニューウェイヴのバンドの方が、現在でも支持を得ているような気がするのは私だけでは無い筈です。その橋渡し的な役割を坂本龍一は担っていた気がするのですが、どうなんでしょう?
プログレッシヴロックを好んで聴く人たちによると、それは音の構築の仕方が興味深いから聴き飽きないと言ってました。建物でいうと建築様式みたいなものですね。それが奇怪に入り組んでいるからこそのプログレッシヴだそうですが、私にとっては全ての音楽は同じ入れ物に入っているので特に意識して考えたことはありません。あくまでも便宜上のジャンル分けならば逆に良いと思うこのごろです。
投稿者 森本 : 2005年10月15日 15:13