世の中の右と左そしてうしろ 暗がりで笑う人をみたときや 銀行のATMで現金を取り忘れたときに なんとなく読むブログ
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純粋であることを選択したとき、そこにはある種の速度が生まれる。ひたすら美しい情景を突き詰めていく姿勢は、ものすごく速い。
鈴木一記の声は独特のトーンであり、男性なのか女性なのか、子どもなのか老人なのかも判別できないような超越感がある。人間離れした、とはまさにこういうものを喩える時に使用される言い回しなのかもしれない。
1976年に自主盤としてごく少数流通した本作は、30年の月日を経て突如CD化された。熱烈なファンの青年が鈴木一記の遺族を訪ね、CD化の承諾を得たのだという。
私はこのCDを出した人物を知らないが、彼の姿勢と行動力に感謝の気持ちでいっぱいだ。この作品は多くの人に聴かれるべきものだとは思わないが、熱烈に聴きたいと思っている者が聴けないという負の状況を打開したという意味で、素晴らしいリリースだと思う。
本作の繊細すぎる世界は、まさに天才の遺した芸術品であるかもしれない。ただ、我々がこれに接したとき、我々は純粋にこの世界に打ち震え、心を揺さぶられることこそが、鈴木一記という存在をきちんとしたカタチで伝説化する手段だろう。
故人である天才的人物を伝説化することは決して悪いことではない。ただ、そこに誤解や曲解が混入してしまうと、伝説ではなく虚構の肥大となって、作品に触れたことのない人々の好奇心を間違って刺激してしまう恐れがある。
このCDはごく少数の流通ルートしか通していない。私はそれが逆に正しいやり方だと思う。オープンにし過ぎてこんなに素晴らしい音盤が「商品」として気軽に扱われてしまうのは、なんだかもったいないような、そんな気がするし、やはり聴きたいと思った人が手に入れることができる環境さえあれば、この作品が埋もれてしまう、という最悪の事態だけは防ぐことができるのだ。だから、今回のリリースはまさに理想的な再発のあり方だったと私は思う。ブランコレーベルの方は偉大だ。
鈴木一記の世界は美しく、純粋なものであったまま凍結されている。我々はそれを覗き見て、その素晴らしさに感動しさえすればそれでいいのだ。
余計な詮索や批評などを行ってしまったら、せっかくここまで繊細なガラス細工のように佇んでいる世界を破壊してしまいかねない。だから、ただ耳をすまして、彼のうたを聴けば良いのである。
優しさと儚さ、冷たさと暖かさに満ちた音楽。
私は一曲目ですでに鳥肌が立った。
ホンモノのうたというのは、そういうものだから。
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投稿者 NY : 2011年02月09日 06:47
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