世の中の右と左そしてうしろ 暗がりで笑う人をみたときや 銀行のATMで現金を取り忘れたときに なんとなく読むブログ
見え透いたパロディなど御免だ。私たちの欲しかったものは確かにリアリズムに裏打ちされたパロディだが、あからさまに「パロディです」と言っているものに対しては冷ややかな視線を送らざるを得ない。
そういった贋物でしかないパロディに対し、コモンはパロディであることを表現の幅をもってして隠蔽せしめた偉人である。
「ヒップホップって他人の曲使ってるような低俗な音楽でしょ」
などとしたり顔で語るお前のその発言、および思想は本当に自分のオリジナルなのか?
どんな発言をしようとも、それをパロディだと思われてしまったなら意味性は虚脱する。無効化といってもいい。とどのつまりは発言したという行為そのものの存在自体が危うくなる。
だが、コモンの素晴らしいところは自らがパロディだということを全く匂わせずにパロディであることの利益をフルに活用してみせた点である。
ここにある奇怪なギミックのすべてがそのために作用していると考えると、やはり才能によってヒップホップというものは見事に変質するものなのだということを、目の前に突きつけられたような、そんな気持ちになる。
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