世の中の右と左そしてうしろ 暗がりで笑う人をみたときや 銀行のATMで現金を取り忘れたときに なんとなく読むブログ
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幻想で遊ぶことの面白さを知ってしまうと、ここにあるような総天然色のおもちゃが自然に出来上がる。明るく楽しく、健全なクスリ遊びの世界だ。ただ、他人がおおはしゃぎで遊んでいる様を見せつけられているようで少し不快になるという人にはオススメできない。
磁石の感覚、照りつける日差し、60年代サイケデリックの影。
本質が風景的であるが故に、SEは対して効果的に響いていないが、何も無いよりはあった方がいい、という考えで入れられているような感じである。そのおもちゃ感覚がポップサイケにとっては重要なものなのだが、40年近い歳月を隔ててしまうとそれが不気味に変質し、理解不能の「ヘンな音」になってしまう。
今現在、このような60年代のサイケを聴いて楽しめるのは、時間経過による我々の感受性の変化があったからだ。もし我々の感性が60年代のままなら、この盤を聴いても「当たり前の音楽」としか映らないのであり、古い時代の良さみたいなものを闇雲に模索したところで、それははかない幻想に過ぎなくなってしまう。
機材、時代、そして人間の考え方も僅かながら変わったのである。あまり音楽を時代の背景として捉えた発言はしたくないのだが、全ての再発盤を新譜として、買ったそのときがその音楽の最も旬な時期と認識して聴くという姿勢がなければ、あらぬ誤解を誘発したり、音楽そのものを無駄死にさせかねない。
そうならないためにも、私は「現在」を設定せず、再発盤も新譜として聴いている。そう、音楽には鮮度があって、せっかくイキのいいサイケでも「68年のアルバムだ」などという余計な予備知識があったせいで腐ったニオイを放つことだってあるのだ。それは受け手側のエゴなのだが、少しだけ聴き方を変えてやるだけで、全ての旧譜が「新しい音楽」へと生まれ変わるのだから、一度は試してもらいたい方法である。
音楽を一切知らない人にバッハを聴かせ、これがロックなんだと説明すれば、その人にとってのロックはバッハが基準点となる。つまり、最初の段階で「何も持たなければ」全ての音楽が新鮮な姿で甦るのである。
これほどまでにリーズナブルかつ単純な方法で、音楽鑑賞をより一層楽しむことができるのだ。一度聴いた音楽だって「忘れてしまえば」いい。そうすればCD一枚で一生楽しめるし、無駄な金を使わなくてもよくなるのである。
貧しい音楽好きはまず、いままで聴いた音楽を記憶から抹消すべきだ。
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「音楽を一切知らない人にバッハを聴かせ」の件、素晴らしかったです。
いつでも「新しい音楽」に触れられるという事は何と素敵な事なのでしょう。
再発盤といえば先日出た「佐藤マサ&香港フラワーズ」は最高にカッコ良かったッス。
投稿者 ミヤナガタクオ : 2005年09月11日 10:31
佐藤マサ&香港フラワーズ、そういえば出てましたね!
けっこうオリジナルが高値だったのはしっているんですが、さすがに音は聴いたことなかったので今度入手してみたいです。
ニューウェーヴな感じだというウワサですよね。
気になるので聴くまでわくわくしています。
投稿者 森本 : 2005年09月11日 11:48