世の中の右と左そしてうしろ 暗がりで笑う人をみたときや 銀行のATMで現金を取り忘れたときに なんとなく読むブログ
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ノー・ウェイヴの荒廃した地平を歩き疲れたとき、電柱の陰からデボラ・ハリー(通称デビー)が現れて私たちのためにキュートな歌声を聴かせてくれる。
ニューヨークの町が途端に美しい光彩を放ちはじめ、CBGBの中はかつてないほどのポップ感覚が充満した。
しかし、それを私は見たわけではない。決して見たわけではない。
だから、ノー・ニューヨークを尻目にブロンディーのライヴだけを見ていたパンクスは潔癖症ではないのである。彼らの瞳に映っていたものは、デビーではなく、自己克服のための偶像だったからだ。
デビーのステージのキュートさ、ポップさは、退廃美から目を背けることへの背徳を払拭するための強力なポップ・アイコンであった。DNAとブロンディーを立て続けに聴いて何が悪い? という開き直りが可能になるためのイニシエーションを、デビーはポップ要素とニューウェーヴ的装飾の中で見事に確立してしまったのである。
ブロンディーの存在があって、初めてあのノー・ウェーヴの荒廃感覚がモダンな輝きを見せていたのだと思うし、パンクが自己喪失へ向かわないためのストッパーとしての機能も果たしていたと思う。
色々な意味でブロンディーは重要な位置にあると思うので、比較的簡単に入手できるこのベスト盤を今日はオススメしたい。
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ブロンディー。私、微妙に聴いていないところです。ベスト、聴いてみたいです。
ちなみにDNAとブロンディーを立て続けに聴いて悪いことなどないと思います。
私もこの前、ノイバンデンを聴いてからDuranDuranを聴きました(笑)。
投稿者 zuma : 2005年09月15日 07:59
ブロンディーはたまに街中やラジオなんかでかかりますね。
改めて聴くとわりと作り込まれていて感心します。
やはりNYシーンを語る上では外せない存在です。
投稿者 森本 : 2005年09月15日 11:38