世の中の右と左そしてうしろ 暗がりで笑う人をみたときや 銀行のATMで現金を取り忘れたときに なんとなく読むブログ
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この曲はあまりにも霊的であり、サイケデリックをもう一層深く掘り下げた地点で、今も不気味に揺れ続けている。マーク・ボランというシャーマンがいかに本物であったかを語ったならばキリがないが、この曲を一曲だけ聴けば全て了解できるだろう。
宇宙は不定形だが、そこへ溶け込む我々は定形なのである。アルバム「電気の武者」が僕らに与えてくれた宇宙を、ゆっくりと傍観し、そしてその中へ泳いでいけば問題は無いのだ。
僕は古びたインチキメーカーのギターで、この曲を何度となく弾いた。意識しなくとも、自然とリバーブがかかったように聞こえ、アンプもエフェクターも通していない音が、極めて美しく転がっていくヴィジョンに何度も驚かされた。そこがマーク・ボランの墓場であり、誕生の瞬間でもあるという事を考慮しても、やはり楽曲そのものの霊性がこのサイケ感覚の根源なのだろう。
最近になって、T-REXのライヴ盤が出ていたが、どうにも聴く気になれないのは、かつてのアイドルを神棚の裏に隠蔽したくなるような庶民的な習慣が僕の身体に染み付いてしまっているからだ。まったく迷惑な慣性である。もう貧乏クサイことは言わないようにしていたのに…。
振り向くと、押入れに隠していた筈のマーク・ボランが、ゆっくりと笑っていた。
どうやら、初めから僕らは踊っていたようである。
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