世の中の右と左そしてうしろ 暗がりで笑う人をみたときや 銀行のATMで現金を取り忘れたときに なんとなく読むブログ
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とんでもない映画である。まず、劇場公開時のタイトルが「ファットマン」で、DVD化の際に「セオリー・オブ・マーダー」という意味不明の邦題が勝手に付けられたのだが、原題は「Theory of the Leisure Class,The(有閑階級の理論)」だ。この原題を知らずに、これをサスペンス映画と勘違いして見てしまうと大変ムカつくというか、うんざりすると思う。これはそういう映画なのである。
最初に言っておくと、ストーリーというか、脚本がダサい。こういうのを真正面から捉えてしまうと痛い思いをするが、撮影センスは良いので「そういう映画なんだなぁ」と思って観れば耐えられるだろう。
これはアメリカの田舎町の社会がどれだけ奇怪に歪んでいるかを提出してみせた映画であって、D.リンチみたいな世界を狙って撮ったわけではないと思う。たしかに演出が「ツインピークス」っぽくもあるが、ここで描かれている殺人は物語の主題にはなっていないのである。
登場人物が全員歪んでいるし、彼らの住む世界もまた奇怪に変形している。そんな場所でそんな人間たちが行う歪んだ行動をエンターテイメントとして見せたこの映画は、実はかなりの傑作なのかもしれない。ジョン・ウォーターズやHGルイスの映画と、やろうとしていたことは同じなのではないだろうか? 最悪なものをそのまま最悪だと割り切って主題にしてしまうというのは、なかなかできることではないし、できたとしてもそんな映画は誰からも相手にされない。
本作の魅力は、だらだらと進行する狂った世界の日常であると思う。こういう悪意の詰まった映画が最近は少なくなっているが、この映画を観てちょっとは希望が持てるようになった。忘れていた懐かしい感覚を思い出したような、そんな気持ちにさせてくれてありがとう、ガブリエルNボローニャ。ただ、一言だけ言うと、主演のチューズデイ・ナイトが結構なブスで困った。感想はそれだけです。
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